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コロナ前、コロナ後

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  大塚駅前のパチンコ屋が閉店した。バッティングセンターとゲーム場が併設されて、結構賑わっていたように思ったが、やはりコロナの3年間は厳しかったのだろう。パチンコ屋は「ひょうたん島」と言って、他に聞いたことがないから、 独立系のものだったのか。私の自宅はこの横を通った先なので、じつにわかり易い目印だった。 コロナで飲食店その他、客商売は大きな打撃を受けた。大塚駅界隈の居酒屋、洋品店、お好み焼き屋など、 かなりの店が消えた。個人で3年間耐えるのはなかなか厳しく、チェーン店がかろうじて頑張ったということだろうか。 先日鹿児島で、タクシーの運転手さんに聞いたが、コロナであまりの売り上げ減、運転手を辞めてしまった人が かなりいる。ぼちぼち客が増えだしたいま、今度は運転手不足で困ってるとのことである。これは全国的な傾向らしい。 ありし日のひょうたん島 閉店のお知らせ

猿之助問題

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  市川猿之助事件には驚いた。親子心中というのもショッキングだったし。  いまだに真相は謎ではあるが。 11年前、梅原猛さんの誘いで、猿之助襲名披露公演を見た。スーパー歌舞伎の演目「ヤマトタケル」の原作が梅原猛さんだった縁で誘われた。名高い宙乗りもあった。 写真をあらためて見ると、梅原さんの左に先代猿之助、右が現猿之助。右端が市川中車(香川照之)、という豪華メンバー。さらに今回気が付いたが、中車の左横にいるのは、この公演が初舞台の團子(香川の息子)に違いない。先日の代役ですっかり有名になった。いま19才というから、このときは8才だろう。 なお、ヤマトタケルが平定する熊襲は、諸説あるが、都城辺りが本拠地らしい。 終演後の舞台挨拶 観劇に来ていた細川元首相

今年のサクラ

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今年の花見は、久々に復活したようだ。コロナでこの3年、事実上休止状態だった。上野は花見の名所であるが、一昨年覗いてみたが「立ち止まらず歩け」との無粋なアナウンスが喧しくしらけた。今年3月半ば、小石川の東大植物園に行った。ソメイヨシノには少し早かったが、それなりに楽しめた。古木がたくさんあり、知られざる花見の穴場である。 4月2日は友人と久しぶり新宿御苑に行った。まず桜でも見て、その後新宿で軽く飲む。桜の名所ではあるが、あまりの混雑には驚いた。3年間の我慢が、ついに決壊したという雰囲気であった。 鹿児島、甲突川の桜並木も平年より少し遅れて咲いたという。さすがに今年は、花見解禁だっただろう。                    東大植物園、ソメイヨシノの大木                         新宿御苑の桜

三岳とれんと

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自宅近くのスーパー・ライフによく行く。東京と関西に多い中手のスーパーで、九州では見たことがない。 北海道にはセイコーマートというコンビニチェーンがあって、これは道内ではダントツに強い。セブンイレブンやファミリーマート、ローソンの大手3社も歯が立たない。 そのライフの酒コーナーに、屋久島名産「三岳」や奄美の黒糖焼酎「れんと」があって、焼酎の勢いがわかる。 以前、札幌ススキノの居酒屋に入って、試しに黒糖焼酎はないかと聞いたら「喜界島」が出てきて、聞いたこちらが驚いた。 三岳のラベルには、世界自然遺産登録の島とあって、何となく嬉しい。奄美でも世界遺産のラベルを貼ったらいいと、たまに言ってみるが、いまのところ動きはない。                         三岳のラベル                        れんとなど黒糖焼酎

目黒駅構内

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  目黒駅に行ったのは何年振りだったろう。大きくなっていて驚いた。駅もあまり大きいと迷う。渋谷駅などは大きくなりすぎて、JR改札口になかなか辿り着かなくて難儀する。JRも商売熱心なのか、大塚駅のみどりの窓口は元々小さかったが、自動切符売り場だけが残されてあとのスペースは売店になった。沖縄や岐阜名産など売っている。2週間ぐらいで変わるようだ。  目黒駅には福島の野菜売り場があった。大きな白菜があり、「はやとうり」というのもあった。もしやと思ったが、やはり薩摩隼人瓜である。大正時代に日本に入ってきたものが、いまや福島県にまで広がったらしい。 目黒駅の白菜 はやとうり

奄美から知床へ

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  7月下旬は奄美大島にいた。オープンしたばかりの奄美大島世界遺産センターの壁面には、ミロコマチコさんの絵が壁いっぱいに描かれていた。彼女の絵は初めてだったが、奄美の森の寓話的かつ神秘的な雰囲気がよく出ているように感じた。  奄美大島世界遺産センター  https://amami-whcc.jp/   9月半ばに知床に行った。コロナ禍が定まらない上に今年4月の観光船事故で、さすがに観光客は少ない。半島の先端ではヒグマの親子など何頭かに出会い、北方領土の1つ国後(くなしり)島もはるか先に見えた。知床は北海道の道東端にあるが、土産物やポスターのセンスはたいへん都会的である。この感覚は、明治以降に移り住んできた人々のフロンティア精神、自由の気風がもたらしたものなのだろうか。 ヒグマの親子 目つきの悪いキツネ

北海道樺戸郡月形町

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  近くのスーパーライフにこの西瓜があった。大きい。「ゴジラのたまご」というらしい。産地の月形町には、子供時代、札幌から釣りに行ったような記憶がある。札幌の北、そう遠くない。明治初めに集治監(監獄ですね)があったという。網走刑務所より古い。いまはスイカやメロンが特産の町である。 ゴジラのたまご 今月初め屋久島に行った。豪雨と台風が接近する中をなんとかすり抜け、たどり着いた。天気が荒れ模様になると、離島であることが身に沁みる。 30年前につくった報告書の、委員寄稿文をベースに「屋久島 知の巨人たち」という本をつくった。当時の委員が10人、現在活躍中の人が4人である。つくるのに苦労したが、写真を多く使い(自分でいうのも何だが)いい本になったと思う。 「屋久島 知の巨人たち」

東京タワー

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 東京スカイツリーができてから、東京タワーの人気が妙に出てきたようだ。昭和のイメージが、懐メロみたいでいいのか、強者、東京スカイツリーに対する判官贔屓(びいき)もあるかもしれない。なにせあちらは634メートルと倍近く高いし、発光ダイオードの電飾装置で自在に色を変えたりする。東京タワーは、元々テレビ電波塔だが、スカイツリーができてその機能はほとんど移管した。  あるとき、京都駅ビルに映る京都タワーを偶然発見した。古都らしからぬ異様な物だが、ガラスに映ると意外に絵になる。東京タワーのビル壁面ショットも、探したがこれが意外にむずかしい。ようやく先日、この写真が撮れた。  さて、鹿児島で似たものを探すとどこになるだろうか。最近天文館にできた「センテラス」は、キラキラした感じではないようだ。強いて言えば中央駅のネオン観覧車だろうか。素朴なネオンだが、却って飽きがこないのかもしれない。 ビル壁面に映る東京タワー 鹿児島中央駅・観覧車

スナック浮舟攻防戦

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 自宅から20メートルにスナック浮舟がある。経営者なのか、年齢不詳の女性がやっている。ときどき見かけるが、70才は超えているようだが定かでない。  コロナと前後してこの一帯は中小マンションの建設ブームで、いまもいくつか建設中である。東京は高層、重厚なビルが多いイメージだが、少し奥に入ると木造住宅が密集している地域がかなりある。江戸川区や足立区などに多く、新宿辺りでも裏側にはまだかなり残っている。  大塚周辺にも、戦前のものかと思われるような木造住宅があり。そのひとつが浮舟の入っている木造2階建てで、ついにマンション建設が始まるようだ。アパートの住人はすでに出てしまったが、ここは粘っている。毎日退去を求めるビラが貼られ、剥がして開店することを繰り返している。どこまで頑張るのか、密かに応援する気分である。 勧告書 スナック浮舟外観

使用前 使用後

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 むかし、雑誌などで「使用前 使用後」という広告をよく見かけた。化粧品、医療器具などだったかなぁ。いまだと、「コロナ前 コロナ後」だろうか。  少し前まで、老夫婦がやっている「勉強堂」という古めかしい洋品店があった。いつ間にか、麵製造会社のアンテナショップに替わった。  自宅の向かい、「よか晩や」というイモ焼酎が売りの小さなスナックも、最近店を閉めたようだ。カウンターだけのごく小さな飲み屋で、結構流行っていたようだった。コロナ休業だと1日休業補償が6万円、ひと月180万円店。店をやっているより収入は多かったとも考えられる。いかにも鹿児島出身者の店らしい風情で、気になっていた。自宅から20メートルと至近、あまりにも近過ぎるので行かなかった。なくなってみると、少し残念な気分である よか晩や 元洋品屋、いまは麺屋