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東京通信1

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  4月12日に鹿児島を発って東京に向かった。東京でくらすのは5年ぶりである。わけあって新幹線でいった。鹿児島-東京間は、直線だと1000キロ弱、新幹線だと1300キロをこえる。鹿児島市内のサクラは散り際だったが、列車の窓から見るサクラは、広島、岡山進んでも咲きぶりはあまり変わらない。東京も同様で、葉桜になりつつ花がかなり残っていた。今年の異常気象のせいか、あるいは鹿児島東京の距離ほど気温の変化はないのだろうか。 日比谷公園    18日に日比谷公園にいった。ここは霞ヶ関の官庁街に接して、むかしはよくここを横切って日比谷、銀座方面に昼食に出かけた。日比谷公園は16ヘクタールあって都心の緑地としては大きい。つくられたのは明治36(1903)年、日本初の都市公園であった。公園の一角に日比谷公会堂がある。関東大震災の復興事業として昭和4(1929)年に建設された。早稲田大学大隈講堂と同じ設計者だという。そういわれればよく似ている。似ているといえば、鹿児島中央駅近くにある日本ガス本社も昭和4年建設だと聞いた。これもまた似ているような気がする。当時はこうしたゴシック風のデザインが流行っていたのだろうか。 十二代沈寿官作・日比谷公園 鹿児島苗代川にある沈寿官窯収蔵庫で、日比谷公園の焼き物を見つけた。日比谷公園ができ た直後、おそらく明治37年か38年頃につくられたものだろう。つくったのは十二代沈寿官。天才がしばしばそうであるように、彼もときの風俗にはきわめて敏感であった。あるいは欧米からきた都市公園という、新しい文化につよく反応したのであろうか。いずれにせよひとつのすぐれた才能は、1000キロの距離を超えて、鹿児島と東京をこのときたしかにつなげたのである。 (2012/4/6)