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阿蘇地震

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 一瞬、ぐらっときた。日比谷公園近くの、ビルの17階で食事中だった。時間は夜の9時半を過ぎたころである。大したことはないと思ったが、思えばこれが熊本地震だった。  阿蘇のカルデラの底に3年いた。平成7年から10年までのことである。当時は、環境省の九州統括事務所が阿蘇にあった。阿蘇神社は住宅から500メートルと近く、遊びに来た友人などとよく行った。熊本城の石垣が崩れたのにも驚いたが、阿蘇神社の楼門の崩壊はさらに衝撃だった。  平成5年8月6日の鹿児島水害のときは県庁にいた。旧庁舎に一晩閉じ込められた。阪神大地震は、環境庁の水質保全局にいて、対策や復興のいわば当事者でもあった。私の個人的体験だけでも、こうしてしばしば災害絡みであるのは、この国が災いかに災害大国であるかを示している。  東北大水害から1年半後に、宮城から岩手を見て歩いた。まだ災害が生々しくそこにあった。 (2016.4.28)