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9月, 2012の投稿を表示しています

ゆるキャラ

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せんとくん  京都駅前のホテルに「せんとくん」がいた。小坊主のあたまに鹿の角らしきものが生えている。異様といえば異様な姿で、一時、不気味だのそれなりに可愛いだのという議論で盛り上がった。その議論があったせいかどうか、いまはむしろ人気が出てきたようである。もともとは、2010年の平城遷都1300年祭のためのイメージキャラクターだった。  都道府県をはじめ全国のかなりの自治体がこの手のキャラクターづくりをしているという。おおむね素朴で単純なものが多く、これらを総称して「ゆるキャラ」という。同種のものはむかしからあったような気もするが、いまのようなブームとなったのはここ10年ぐらいのことだろう。 阿蘇にいたくまモン  いまや100を軽くこえると思われるゆるキャラの中で、もっとも成功しているのは、熊本県の「くまモン」だろうか。熊本だからクマでそれにカタカナでモンを付けた。単純そのものの発想だが、メタボ風の体型と顔に愛嬌がある。やはりデザインの勝利だろう。2011年のゆるキャラグランプリ(というものがあるらしい)チャンピオン。熊本にはくまモングッズがあふれている。  ちなみに東京都には「パンダ慶次郎」というのがあるらしいが、見たことはない。名前を聞いただけで、どうもあまり受けそうもない気がする。 ツシマヤマネコ着ぐるみ  この手の発想は行政にもある。環境省の絶滅危惧種対策の一環として、動物の着ぐるみ人形をつくっている。これまでのところもっとも人気があるのは、ツシマヤマネコの着ぐるみで、猫系は絵になりやすいのだろう。トキやアマミノクロウサギもそれなりに人気はあるらしいが、その姿には賛否があるようだ。 ぐりぶーと友だちのさくらちゃん  ちなみに鹿児島県のゆるキャラは「ぐりぶー」、黒豚?のあたまに木が生えている。グリーンとブタからきてるのかな?ぐりぶーの評価は… 読者の判断にまかせたい。(2012/9/25)

某月某日

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某月某日 夕張「幸せの黄色いハンカチ」ロケセット。 炭鉱住宅も映画用につくった   北海道、夕張へ。ここは財政破産した市として一躍有名になった。町を歩くとたしかに淋しい。イベントとして映画祭を始めたのは1990年のことだ。町中に手書きの大きな映画の看板がたくさんあった。町のはずれに、高倉健主演「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地跡が観光施設として残されている。管理人とおぼしき男が歩いていたほか、だれもいなかった。 某月某日 徳之島闘牛・女性勢子  徳之島の闘牛を見た。激しい。闘牛そのものも激しいが、応援がまたすごい。勝負が着くと、関係者がなだれ込んで舞い踊る。子供が勝った牛に乗ったりする。勢子は牛を励まし闘わせる役目で、危険だからもっぱら若者の仕事である。このときは女性の勢子がひとりだけいた。二十歳ぐらいだろうか?鋭い、いい眼をしていた。 梅原猛さん。右上の額の書は自筆  某月某日  京都銀閣寺近くの、哲学者梅原猛さんの家に行った。22年前の縄文杉登山の話などで盛り上がった。もう80代後半のはずだが気力旺盛、眼鏡なしで細かい字も読む。鹿児島のかるかんが好物だという。梅原邸は哲学の道の南の端にある。もちろんそんなヤワな名前の道は歩きはしない。 某月某日 夕陽の開聞岳  開聞岳の写真はむずかしい。海に突き出しているせいか、いついっても逆光になる。しかしこの山の姿は美しい。葛飾北斎の富士はむしろこの山に似ているのではないだろうか。彼の富嶽三十六景では、現実の富士より高さを強調してある。その方が絵になるとの芸術的感性だろう。1年ほど前にホテルの窓から見た夕陽の開聞もよかった。飛行機雲が右手に見える。(2012/9/11)

旭川の雪だるま

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 夏の旭川に雪だるまがいた。赤いマフラーをしている。8月下旬、札幌から旭川に行ってユーカラ織工芸館ロビーに着いたときのことだ。札幌から旭川は、高速道路だと1時間半で着く。この工芸館はまえから気になっていた。ユーカラ織とは、半世紀ほどまえにひとりの女性が考案した毛織物で、アイヌの文様がデザインの主なモチーフである。 余市に行ったのは何年まえのことだったろう。偶然まぎれ込んだ梨畑に、花がいっせいに咲いていた。畑越しの山には雪がまだ残っていたから、あれは5月ごろのことだったろう。タンポポの黄色と芝生の緑、梨の花の白が目にしみた。 雪だるま 余市・梨畑     喜界島・ガジュマル  奄美の喜界島を、道に迷いながらウロウロしていた。とつぜん山中で堂々としたガジュマルの木に出会った。姿がなんともいえず素晴らしい。ガジュマルはほとんどが幹から出す気根によって樹形が不定型になるが、この木は森の中にいかにもスッキリと立っていた。 縄文杉・記念写真 (前列右端が私、隣が梅原さん)  平成2年12月のクリスマス、哲学者の梅原猛さんと縄文杉に登った。雪道だった。当時は観光客もはるかに少なく、冬の登山客などほとんどいなかった。まだ縄文杉に近づけた時代である。22年まえだから梅原さんは若く、私ももちろん若い。(2012/9/3)