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大学キャンパス1

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 これほどの大雪が鹿児島に降るのはめずらしい。降ったのは2年前の大晦日のことである。この写真は鹿児島大学キャンパスのメインの通り、ワシントン椰子の並木に雪が舞った。 全国の大学を見て歩くと、歴史なのかあるいは大学のもつ性格なのか、それぞれに特徴がある。北大のポプラ並木はあまりにも有名だ。何年か前の台風で大木がかなり倒れたというが、写真の撮りようによってはそれなりに回復している。この大学は札幌農学校以来の伝統だろう、やはり農学部どっしり棟がもっともした雰囲気である。 鹿児島大学・ヤシの木並木 北海道大学・ポプラ並木 東大本郷キャンパスは関東大震災後から戦前にかけてつくられた建物が連坦して重厚だし、イチョウ並木越しの安田講堂(大正14年竣工)はさすが絵になる。40年ほど前ここに学生が立て籠もって機動隊の放水を浴びた痕跡は、前庭のベンチでのんびり本を読む学生の姿からはいまやどこにも感じられない。 京大のシンボルはやはり本部の時計塔だろう。ここのキャンパスは建物が密集して少し手 狭な感じがする。すぐ近くに吉田山があり、その奥には東山が連なる。この大学の風景は、これら背景の山々とあわせてみるべきなのかもしれない。 東京大学・安田講堂 京都大学・時計塔 鹿児島大学は学生数1万人と地方大学としてはきわめて大きい。その中核は鹿児島市のほぼ真ん中にある郡元キャンパスだ。大学正門を入った裏手に農学部の圃場があって、春先にはレンゲが咲く。秋には稲が実り餌を求めて雀が群がる。60万都市鹿児島の中心にある小さくてのどかな田園。私がひそかに誇りにしている風景が。(2012/6/20) 鹿児島大学・田圃

東京スカイツリー

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  東京スカイツリー 最近の東京の話題といえばスカイツリーである。世界一高いというのはなんともいえず魅力があるものらしい。東京タワーが333メートル、スカイツリーは634メートルだから、たしかに倍近い高さだ。高ければいいのかという疑問もあるが…まあ、いいのかな。 東京タワー 東京タワーは、むかしはそれほどでもなかったが、いつの頃からか結構好きになった。ライトアップが成功した数少ない例かもしれない。皇居前など、ビルの谷間に浮かぶ姿はたしかにキレイである。ときに満月がかかっていたりする。昭和30年代の日本を描いた映画「ALLWAYS 三丁目の夕日」ですっかり有名になった。東京タワーが完成したのは昭和33年のことだ。 パリにエッフェル塔ができたのは1899(明治22)年。当時は醜悪そのものだとパリッ子からは非難ごうごうだったという。それがいまや歴史的建造物として都市計画上手厚く保護されている。景観の美しさは時代によって変化していくことがよくわかる。このあたりが景観や風景を論じるむずかしさだ。 京都タワー 二十歳すぎに札幌を出た。たまに帰郷して千歳空港からバスで札幌にたどり着くと、大通公園のずんぐりとしたかならずしも美しいとはいえないテレビ塔がなぜか懐かしい。京都駅前の京都タワーは古都にはまったく似合わない建築物だ。笑い話に「京都でもっとも景色のいいのは京都タワーの展望台である、なぜなら京都タワーを見なくてすむから」というのがあったぐらいである。しかし新幹線で出先からもどって、京都駅近くのこのタワーが近づくと、なぜかホッとした。 鹿児島中央駅観覧車 鹿児島にこうした高い塔はない。しいてあげれば中央駅上観覧車の、それも夜にネオンが灯ったものだろう。3月まで住んだマンションの11階からよく見えた。大型観覧車は全国のあちこちにあっていまや珍しくもない。これだけを好ましく感じるのは、5年間眺め続けたせいであろうか。 (2012/5/11)

東京通信1

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  4月12日に鹿児島を発って東京に向かった。東京でくらすのは5年ぶりである。わけあって新幹線でいった。鹿児島-東京間は、直線だと1000キロ弱、新幹線だと1300キロをこえる。鹿児島市内のサクラは散り際だったが、列車の窓から見るサクラは、広島、岡山進んでも咲きぶりはあまり変わらない。東京も同様で、葉桜になりつつ花がかなり残っていた。今年の異常気象のせいか、あるいは鹿児島東京の距離ほど気温の変化はないのだろうか。 日比谷公園    18日に日比谷公園にいった。ここは霞ヶ関の官庁街に接して、むかしはよくここを横切って日比谷、銀座方面に昼食に出かけた。日比谷公園は16ヘクタールあって都心の緑地としては大きい。つくられたのは明治36(1903)年、日本初の都市公園であった。公園の一角に日比谷公会堂がある。関東大震災の復興事業として昭和4(1929)年に建設された。早稲田大学大隈講堂と同じ設計者だという。そういわれればよく似ている。似ているといえば、鹿児島中央駅近くにある日本ガス本社も昭和4年建設だと聞いた。これもまた似ているような気がする。当時はこうしたゴシック風のデザインが流行っていたのだろうか。 十二代沈寿官作・日比谷公園 鹿児島苗代川にある沈寿官窯収蔵庫で、日比谷公園の焼き物を見つけた。日比谷公園ができ た直後、おそらく明治37年か38年頃につくられたものだろう。つくったのは十二代沈寿官。天才がしばしばそうであるように、彼もときの風俗にはきわめて敏感であった。あるいは欧米からきた都市公園という、新しい文化につよく反応したのであろうか。いずれにせよひとつのすぐれた才能は、1000キロの距離を超えて、鹿児島と東京をこのときたしかにつなげたのである。 (2012/4/6)