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全国ラーメン事情

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  日本で一番多いのはラーメン屋じゃないだろうか。全国でどのぐらいあるのか数えたことはないが、軽く数万軒はあるような気がする。全国どの町に行ってもラーメン屋だけはある。日本人はカレーライスも同じように好きだが、カレーの専門店は意外に少ない。カレーもあるという店はたくさんあるが。  ラーメンといえば札幌ラーメンが有名だ。しかし、ひき肉、もやし、ときどき玉ねぎなどの炒めたのが入った味噌ラーメンは、わたしの子供時代にはなかったものである。むかし札幌で食べていたのは、ごくふつうの中華そば。チャーシュー、ナルト、支那竹に海苔なんかが乗ってるやつですね。味噌ラーメンは、昭和30年頃、札幌の三平という店が創作したものが札幌ラーメンの代名詞になって、あっという間に全国にひろがった。  文化が進化し、残っていく一般法則は、ラーメンについても同様らしく、日本各地で独自の発展形態を見せる。 福島の喜多方市にラーメンを食べにいったことがある。老舗風の店に、肉そばというメニューがあった。やや不安に思いつつ注文してみたが、チャーシューが十重二十重に重なって麺がまるで見えない。たぶん、30枚はあったのではなかろうか。居合わせた他の客がどよめいたほどの迫力であった。東京の高田馬場に住んだことがある。ここは早稲田大学のほか、専門学校がやたらとある。若者があふれているせいかどうか、東京でも有名なラーメン激戦地帯だ。札幌、九州その他なんでもある。3軒並んでいたりする。  九州はとんこつスープラーメンが特徴だ。鹿児島のものはまた独特の進化を遂げていて、とんこつスープに醤油、味噌などを加えてなかなかうまい。むかしは天文館の「こむらさき」という店にはいつも行列ができていたものだが、最近はそれほどでもないようである。 (2013.10.18)

西村研究室探訪

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 この4月、鹿児島から東京に戻った西村くんのところへいく。東大宗教学研究室。大学正門から入って右手、2つめの建物。正面に安田講堂がある。入口で事務なのか守衛関係なのか、居合わせたおじさんに聞くが要を得ない。どうやら遠いエレベーターだけが、目的地の西村研・4階に行くということらしい。  不安に思いつつエレベーターに乗る。エレベータ内の表示板はなぜか3階までである。ボタンは4階があったからとりあえず押す。出たところが西村研究室だった。もしかすると4階部分はあとで増築したのだろうか。それにしてもエレベーター内表示は謎である… 西村くんによれば、この建物は昭和初期に基本ができたとか。風格があるといえばあり、継ぎ足し継ぎ足しでややこしいといえばややこしい建物なり。  東大は、学生、教官、事務職員合わせて2万2千人ほど、その3分の2がこの本郷キャンパスにいるとして約1万3千人。田舎の町だと2つ分ぐらいの、大きな集団である。ちなみに、鹿児島大学郡元キャンパスは、1万人弱ぐらいだろうか。  独立行政法人化後、本郷キャンパスには、コンビニ、スターバックス、レストランなどが学内に続々とできている。先日北大でも真新しいレストランで食事したから、国立大学では全国的な傾向らしい。こちらとしては便利であるが、大学を一歩出て本郷通りを歩くと、シャッター通り化が、一段と進行している。5年前はこれほどではなかったから、ここ何年かで加速したのだろう。大学と地域との関係を考えると、やや複雑な心境である。  今月上旬、鹿児島大学法文門近く生協があったところに、大きな建物が建設中であった。ここにも、コンビニ、コーヒーチェーン店が入るとの噂である。 (2013.9.30)

かりんとう戦線

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 数年前から、かりんとうがブームらしい。どのデパート地下菓子売り場にも、たしかにある。記憶にあるイメージとは違って、おおむね細く繊細なつくりで、種類もおどろくほど多様である。むかし食べたあの親指ほどの太さ、黒茶色のものは、むしろ見当たらない。  かりんとうの発祥には諸説ある。中国・唐から渡ってきた、オランダ人が持ち込んだ菓子に由来する、その他。一般化したのは、明治初め、浅草の菓子屋から、ということのようである。  つくり方は単純である。小麦粉をこねてうすく板状にし、それを細かく切って油で揚げる。溶かした砂糖につければ出来上がりだ。  油、砂糖とも、江戸時代までは貴重品だったから、普及したのはやはり明治以降のことでしょうね。  最近、もの好きにもかりんとう老舗店見物に出かけた。浅草「小桜」、湯島というか上野御徒町に近い「花月」の2つとも、戦後の開業ということであった。  どちらも小奇麗なつくりの店で、それなりの人気があるようだ。どちらも東京風なのか上品なものが多く、むかし懐かしいゴツゴツ系はない。子供のころはあまり好きでもなかったはずだが、いまとなってはちょっと食べたいような気がする。 ところで鹿児島にも当然あるんでしょうね、かりんとう。8月初め、鹿児島中央駅土産物コーナーでは見当たらず、豚まん・黒豚侍がありました。買わなかったけど。 (2013.8.20)

2500km

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 6月は、札幌から東京経由で奄美徳之島へ、東京に戻って1週間後に奄美大島と忙しかった。札幌から徳之島は、移動距離でおおよそ2500キロある。アメリカ合衆国の南北が2570キロだと聞くと、なおさら感慨深い。とくに意味はないが。  札幌はニセアカシアの花にはやや遅かったが、ヤマボウシは満開だった。  奄美大島では遅咲きのイジュになんとか間に合った。イジュは、材が堅くシロアリなどにも強いので、高倉の柱材にも使われているという。奄美、沖縄の固有種である。 ツマベニ蝶  住用のマングローブ林の先、道路沿いでツマベニ蝶を見た。食草のギョボク(魚木)の花が咲いて、何匹かが舞っていた。元気で素早く、ようやく撮れたのがこの写真。だいたいブレる。   徳之島空港は、いつの間にか「徳之島子宝空港」になっていた。たしかに全国でも抜群の出生率の島ではあるが…   (2013.7.17)

札幌行き

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 6月半ばに札幌へ。さすがに風は心地よく、しかしいつになく湿度は高いようであった。東京も今年は天候不順で、東京と札幌の気温はあまり変わらない。もしかしたらまだ残ってるかと思っていたライラックの花は、残念ながらすでに終わっていた。北大植物園内にはまだ咲いているのがあったが、これは中国その他外国産のものらしい。 煉瓦づくりの旧道庁舎前にはハマナスの花が咲いていた。この季節はニセアカシアの花が咲く時期で、何本か大木を見かけたが、街中からはめっきり減ったようだ。花粉症?によくないとかで、いまやあまり好まれない木になりつつあるという。むかしはいくつか立派な並木があって、6月の帰省が楽しみだったものだが…   千歳空港からJRで札幌駅に着く。駅ビルの一角に大丸デパートがある。地下の食料品売り場を覗いてみた。さほどの品ぞろえとも思えない。札幌市内のデパートではこの大丸がひとり勝ちだというから、JR、地下鉄駅至近でとにかく便利だということなのだろうか。売り場にあった鹿児島の痕跡は、種子島産砂糖と沖永良部のキクラゲだけであった。  (2013.6.21)

某月某日・その2

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 某月某日  柿の葉がいつのまにかりっぱに繁っていた。まだやわらかく優しげな色である。北海道には柿の木がなく、いまだにめずらしいと言う気持ちが強い。2年ほど前の鹿児島時代、農家の庭の柿がたわわに実をつけている景色を撮りたくて、あちこち回った。どこにでもありそうだが、なぜか1本もない。薩摩半島中を走り回って探した記憶がある。それでも、ない。どこの町だったか、道沿いの果物屋で聞いたら、同年の2,3月に季節はずれの雪が降り、おまけに霜で、花芽が全滅したとのことであった。 某月某日  自宅から10メートルほどのところに駐車場を借りている。先日車を動かそうと思ったら、ネコがいる。車の下から塀によじ登った。まるまると太って、しかし、すばしこそうである。写真を撮るのに1メートルまで寄ったが、別に逃げる風もないから、おおむね近くの飼いネコだろう。界隈に半ノラというか半飼い猫状態のは何匹かいるが、やはり毛艶などがいまいちである。駐車場ネコの隣のりっぱな木はビワの木。 某月某日  最近評判の、渋谷の先にある代官山蔦屋に行く。まったく新しいタイプの本屋である。ゆったりとした敷地に低層の建物が3つ、これが蔦屋本体。歩道や屋外の休憩スペースは広くとってある。本を読む場所は建物内にもあって、これも広い。店内のスターバックスから、コーヒーなどテイクアウトできる。ファミリーマートの色も地味であった。本は見た限りは美術系、ビジュアル系のものが多く、文庫、新書などはごく少ないようだ。    新しい本屋への意欲的な試みであり、好感をもった。しかし、店も町も、使う人間がつくる。1,2年経ってみないとほんとうの評価はむずかしいだろう。(2013/5/16)

京都行き

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 某月某日  4月の半ばに京都へ。今年は桜が早いのでなかばあきらめていたが、それなりに残っていた。さすがにソメイヨシノは葉桜に近かったが、枝垂れの薄いピンクはどこもほぼ満開。 京都の夕方以降は、東京よりむしろ気温が下がる。一番北は大原三千院まで行った。門前の茶店ではストーブを焚いていた。あちこち見物したが、今回よかったのは真如堂。京大近く、吉田山の一角にある。モミジの新緑が鮮やかだった。むかしは誰もいない場所だった。  京都に行って時間があると、四条通り近くの市場、錦小路を覗いてみる。前からその兆候はあったが、観光客相手の店が増えている。むかしは市内の料理屋など、専門家相手の食材屋が多かった。いまや、ファンシーグッズ店、チェーンの喫茶店なども進出している。  泊まったホテルは長州藩邸跡に建つ。御所近くの薩摩藩邸跡は同志社大学になっているらしい。今回発見した京都・鹿児島のカケラは、錦小路で見かけた空豆。指宿方面産かな?  帰りの新幹線、快晴で富士山がよく見えた。雪がかなりある。やっぱり、寒い。 (2013/4/15)

開花宣言

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 今年のサクラは早い。東京は3月16日に開花宣言した。靖国神社に標準木というか標準枝があるらしい。  しかし16日に行った六義園のしだれ桜はまだまだの気配、ようやく二、三輪が咲いていた。このあたたかさだと、来週、3月24,25日ごろが満開だろう。  六義園は、元禄時代18世紀初めに柳沢吉保がつくった大名庭園である。明治初年に岩崎弥太郎が購入した。戦前に東京市に寄付され、いまは東京都が管理している。9ヘクタールの庭園の中心を大きな池が占め、その周りを回遊して楽しむ。奥の小高いあずまやから、全景が見わたせる。池にはキンクロハジロの群れと大きな鯉がいた。  何年か前、鹿児島知覧近くの山中で偶然大きな山桜を見た。ソメイヨシノにはやや食傷気味だったので、素朴な花と大木の幹が新鮮だった。  甲突川のソメイヨシノは、花の咲き方に難がある。暖かすぎて一斉に花が咲かないような気がするが、どうだろうか。  東北にもサクラの名所は多い。弘前城は一度行ってみたいと思いつつ、いまだ果たしていない。  宮城県陸前高田市は、市の中心部が津波で壊滅的被害を受けた。7万本の高田松原の、この写真の1本だけがかろうじて残った。結局枯死したこのマツに、プラスチックを注入して復元したとのニュースを最近聞いた。  東北も今年は雪が多く寒いというが、被災地のあちこちには今年もサクラが咲くだろう。 (2013/3/18)

猫シリーズ

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 とくだんの猫好きでもなかったが、いつの間にか家に2匹いた。古手は阿蘇で迷い込んできたのだから、平成7年のことだったろうか。もう1匹は、9年前、東京南大塚の路地に這いつくばっていた。前からいたネコは、残念ながら昨年夏に東京に引っ越してまもなく死んだ。  だからというわけではないが、自然や町の風景を撮りに出かけると、ついでにネコの写真も撮る。犬や人間も撮るが、もっとも写しやすいのはネコである。人間はもちろん犬も飼い主が一緒のことが多いから、なんとなくカメラを向けるのがためらわれる。ネコも野良系だと動きがすばやくて、とても写真など撮らしてくれない。動物写真家の岩合光昭が書いたものを読むと、どこにいってもネコが自然に寄ってくるという。  全国を歩いた感じでは、都会よりは田舎の、それも漁師町に多いような気がする。雪国を野良で過ごすのはキビシイのか、北国にはやはり少ないようである。  鹿児島大学キャンパスにもたくさんいた。猫好きの教官がエサなどやっているらしい。東京でもどちらかというと下町で見かける。これは年寄りと小さな一戸建て住宅が多いせいだろうか。  昨年奄美大島で、たぶん旧住用村だったと思うが、6人兄弟のネコがいた。カメラを向けるとサッと逃げたが、そのうち1匹ずつ戻ってきた。生後半年ぐらい? (2013/3/7)

看板

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 東京台東区、スカイツリーの少し先でこんな居酒屋を見つけた。しかし、「かずの子」というネーミングはいかにも大胆不敵である。いったいどういう発想なのだろう。まさか女将の本名ということもないだろうなぁ。同じ台東区の谷中銀座入口にあった「質屋おぢさん」、いつからこの名前でやってるのだろう。 かずの子 質屋おぢじさん  全国をあちこち回っていると、なかなかシブイ店名に出会うことがある。函館の町に「正義堂」という看板があった。たぶん時計屋かなんかだろうと思いながら、近づいたら焼鳥屋だった。うーん。  むかし英語に感じの当て字をする店の名前、たとえばライムライトを「来夢来人」とするタグイが流行ったことがある。いまだに田舎にはけっこう残っている、スナック多恋人(タレント)その他。いや、東京にもまだあるか。 銀座・鈴木女史看板  銀座4丁目交差点の一角、三越デパートの向かい側ビルの屋上に、鈴木その子の大きな看 板があって、思わずギョッとする。美容、栄養評論家?の本人は、とうに亡くなっているのだが。20年ぐらい前だったろうか、テレビのコマーシャルで何度かその子女史を見たことがある。化粧の厚さと白さは相当の迫力だった。 うなぎの末吉 沈壽官・大黒  苗代川・沈壽官窯、即売店の屋根に大黒様が乗っている。一見古びた気配がある。もしかすると韓国からでも持ってきた由緒あるものだろうか。あるとき現・沈壽官氏に聞いたら、「あれはオヤジ(14代)が遊び半分につくったものだ」とのことであった。(2013/2/12)