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気温差30℃

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名瀬アーケード  3月8日、奄美で大雪にあった。とはいっても、奄美に雪が降ったわけではない。羽田空 港が積雪で閉鎖されて乗る予定の飛行機が欠航、帰れなくなったためである。奄美―羽田直行便は1日1便しかない。同じの運命の人たちはたくさんいて、空港内でなすすべもなくウロウロしていた。奄美空港での4時間待ちはキツイ。   2月1日まで札幌で、6日から9日までは奄美大島。気温差は30℃ぐらいあった。奄美に4日もいたのは、日本列島の大部分に降った雪のせいである。  今年の札幌は雪が多く、いつになく寒いとの事前情報であったが、雪はそれほどでもなくしかし寒さは厳しかった。国際的イベントである札幌雪祭り開催直前で、会場となる大通公園では自衛隊が雪像づくりに励んでいた。  札幌は鹿児島と縁が深い。というか、鹿児島が北海道開発をほぼ担ったといったほうが正確だろう。薩摩藩士黒田清隆は明治3年から北海道開拓次官、明治7(1874)年から15年までは長官である。大通公園6丁目には彼の像がある。  サッポロビールは、これも開拓使であった薩摩藩士村橋久成の主導で明治9年札幌にビール工場ができた。政府内では神奈川県立地派が優勢だったから、彼なしにはサッポロビールは存在しなかっただろう。当時の名称は「開拓使麦酒醸造所」といかめしい。  札幌の中心部にあり日本を代表する都市公園でもある大通公園は、佐賀藩士島義勇の構想したものだ。当時北海道開拓使判官だった。その後、佐賀の乱で江藤新平とともに斬首されたのは明治7年のことである。 (2014.2.17)

2014元旦

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 今年は新年の寺社詣でがいつにも増して多い。明治神宮など大どころの様子は確認していないが、手近で見たいくつかはかなり混雑していた。早稲田大学文学部前の穴八幡神社は毎年人気があり、今年もそうだった。自宅近くの天祖神社は、元旦の零時過ぎにはもう行列ができていた。巣鴨のとげ抜き地蔵も相変わらず盛況である。マスコミなどが伝える好景気の数字はともかく、世間はアベノ景気にいまいち実感がもてず、たぶん神頼みの気分なのだろう。  鹿児島時代もあちこちの神社に出かけたが、市内ではやはり照国神社の人出がダントツである。2,3年前の正月に川内の新田神社に行った。急な石段と楠の大木があって、神社らしい神社だった記憶がある。  さて、人気の穴八幡からほんの少し離れたところに北野神社があった。ごく小振りの神社で誰もいず、社務所が準備したお神酒も飲まれた気配がない。しかしこちらのほうが森閑として、なんとなく神社らしい。 (2014.1.9)

クリスマス模様

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  もう、クリスマスだ。ついこの間手帳とカレンダーを新しくしたような気がするのに。  街を歩くとイルミネーションが華やかである。一時地味になったように思うが、最近すこしもり返したようである。  もっともあんまり派手なのは趣味にあわない。前に、明治神宮前のケヤキ並木・電飾では反対運動がおきたというが、いまはどうなってるのだろうか。  銀座4丁目のミキモト真珠店では季節ごとに飾りを変える。桜の時期には本物を植えたり。クリスマス・ツリーも小振りでなかなか上品である。  日本橋高島屋のショウウインドウでは、トナカイが首を振っていた。  札幌の大通公園ではイルミネーションが。これはクリスマス用というより雪祭りその他冬の間用かもしれない。冬の雪国はなんとなく淋しいし。  鹿児島の中央駅前広場にツリーがあるのを見たことがある。年によってはなかったりするらしいが、今年はどうなんだろう。 (2013.12.6)

蕎麦100年戦争

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 蕎麦が好きになったのはいつごろからだったろう。小学校高学年にはもう好きだったような記憶がある。札幌の蕎麦出汁は関東をさらに濃厚にしたものだ。麺類の出汁の濃淡については、関東と関西のいわば100年戦争で、決着はとてもつきそうにない。関西人の関東攻撃の定番は出汁の濃さで、初体験時には驚いて「半分残した」と判で押したようにいう。  京都時代は舌に合う蕎麦屋を探すのに苦労した。そもそも京都の蕎麦専門店は限られた高級店のみで、うどんと蕎麦をメニューにならべた店がほとんだった。京都に蕎麦屋が激増したのはここ10年から20年のことではないか。しかし、北前船で運んだ北海道のニシンを加工して、名物「にしんそば」に仕立てるのはいかにも京都らしい。   東京の老舗の蕎麦屋では、神田「藪」や同じく神田の「まつや」が有名である。作家の池波正太郎がひいきだったという。両店ともいつも客でいっぱいであった。今年はじめ、この「藪」が火事で焼け、全国ニュースにもなった。  東京の北、南千住の商店街に砂場がある。千住は江戸の宿場町だった。砂場建物も大正初めのもので、江東区の文化財に指定されているらしい。砂場は東京では赤坂、虎ノ門など何軒かある。てっきり東京発祥のブランドだと思っていたが、なんと大阪だという。大阪城をつくったときの土砂の置き場に屋台風の簡便な蕎麦屋ができ、砂置き場―砂場がいつの間にか屋号になったという。  鹿児島はそばどころで、一時期の生産量は全国でもトップクラスだった。最近はベストテンにようやく入るぐらいだが。蕎麦屋もそれなりにあるが、どちらかというと素朴で昔ながらの味が多い。東京風の蕎麦屋がポツポツとできはじめたのは近年のことだろう。東京で修業して開店したらしき店がいくつかあり、どこもそれなりに工夫がある。私としてはいまのところ、市役所向かい大通公園近くの「あき葉」、東千石アーケード内の「丸新」が気分に合う。 (2013.11.28)

全国ラーメン事情

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  日本で一番多いのはラーメン屋じゃないだろうか。全国でどのぐらいあるのか数えたことはないが、軽く数万軒はあるような気がする。全国どの町に行ってもラーメン屋だけはある。日本人はカレーライスも同じように好きだが、カレーの専門店は意外に少ない。カレーもあるという店はたくさんあるが。  ラーメンといえば札幌ラーメンが有名だ。しかし、ひき肉、もやし、ときどき玉ねぎなどの炒めたのが入った味噌ラーメンは、わたしの子供時代にはなかったものである。むかし札幌で食べていたのは、ごくふつうの中華そば。チャーシュー、ナルト、支那竹に海苔なんかが乗ってるやつですね。味噌ラーメンは、昭和30年頃、札幌の三平という店が創作したものが札幌ラーメンの代名詞になって、あっという間に全国にひろがった。  文化が進化し、残っていく一般法則は、ラーメンについても同様らしく、日本各地で独自の発展形態を見せる。 福島の喜多方市にラーメンを食べにいったことがある。老舗風の店に、肉そばというメニューがあった。やや不安に思いつつ注文してみたが、チャーシューが十重二十重に重なって麺がまるで見えない。たぶん、30枚はあったのではなかろうか。居合わせた他の客がどよめいたほどの迫力であった。東京の高田馬場に住んだことがある。ここは早稲田大学のほか、専門学校がやたらとある。若者があふれているせいかどうか、東京でも有名なラーメン激戦地帯だ。札幌、九州その他なんでもある。3軒並んでいたりする。  九州はとんこつスープラーメンが特徴だ。鹿児島のものはまた独特の進化を遂げていて、とんこつスープに醤油、味噌などを加えてなかなかうまい。むかしは天文館の「こむらさき」という店にはいつも行列ができていたものだが、最近はそれほどでもないようである。 (2013.10.18)

西村研究室探訪

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 この4月、鹿児島から東京に戻った西村くんのところへいく。東大宗教学研究室。大学正門から入って右手、2つめの建物。正面に安田講堂がある。入口で事務なのか守衛関係なのか、居合わせたおじさんに聞くが要を得ない。どうやら遠いエレベーターだけが、目的地の西村研・4階に行くということらしい。  不安に思いつつエレベーターに乗る。エレベータ内の表示板はなぜか3階までである。ボタンは4階があったからとりあえず押す。出たところが西村研究室だった。もしかすると4階部分はあとで増築したのだろうか。それにしてもエレベーター内表示は謎である… 西村くんによれば、この建物は昭和初期に基本ができたとか。風格があるといえばあり、継ぎ足し継ぎ足しでややこしいといえばややこしい建物なり。  東大は、学生、教官、事務職員合わせて2万2千人ほど、その3分の2がこの本郷キャンパスにいるとして約1万3千人。田舎の町だと2つ分ぐらいの、大きな集団である。ちなみに、鹿児島大学郡元キャンパスは、1万人弱ぐらいだろうか。  独立行政法人化後、本郷キャンパスには、コンビニ、スターバックス、レストランなどが学内に続々とできている。先日北大でも真新しいレストランで食事したから、国立大学では全国的な傾向らしい。こちらとしては便利であるが、大学を一歩出て本郷通りを歩くと、シャッター通り化が、一段と進行している。5年前はこれほどではなかったから、ここ何年かで加速したのだろう。大学と地域との関係を考えると、やや複雑な心境である。  今月上旬、鹿児島大学法文門近く生協があったところに、大きな建物が建設中であった。ここにも、コンビニ、コーヒーチェーン店が入るとの噂である。 (2013.9.30)

かりんとう戦線

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 数年前から、かりんとうがブームらしい。どのデパート地下菓子売り場にも、たしかにある。記憶にあるイメージとは違って、おおむね細く繊細なつくりで、種類もおどろくほど多様である。むかし食べたあの親指ほどの太さ、黒茶色のものは、むしろ見当たらない。  かりんとうの発祥には諸説ある。中国・唐から渡ってきた、オランダ人が持ち込んだ菓子に由来する、その他。一般化したのは、明治初め、浅草の菓子屋から、ということのようである。  つくり方は単純である。小麦粉をこねてうすく板状にし、それを細かく切って油で揚げる。溶かした砂糖につければ出来上がりだ。  油、砂糖とも、江戸時代までは貴重品だったから、普及したのはやはり明治以降のことでしょうね。  最近、もの好きにもかりんとう老舗店見物に出かけた。浅草「小桜」、湯島というか上野御徒町に近い「花月」の2つとも、戦後の開業ということであった。  どちらも小奇麗なつくりの店で、それなりの人気があるようだ。どちらも東京風なのか上品なものが多く、むかし懐かしいゴツゴツ系はない。子供のころはあまり好きでもなかったはずだが、いまとなってはちょっと食べたいような気がする。 ところで鹿児島にも当然あるんでしょうね、かりんとう。8月初め、鹿児島中央駅土産物コーナーでは見当たらず、豚まん・黒豚侍がありました。買わなかったけど。 (2013.8.20)

2500km

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 6月は、札幌から東京経由で奄美徳之島へ、東京に戻って1週間後に奄美大島と忙しかった。札幌から徳之島は、移動距離でおおよそ2500キロある。アメリカ合衆国の南北が2570キロだと聞くと、なおさら感慨深い。とくに意味はないが。  札幌はニセアカシアの花にはやや遅かったが、ヤマボウシは満開だった。  奄美大島では遅咲きのイジュになんとか間に合った。イジュは、材が堅くシロアリなどにも強いので、高倉の柱材にも使われているという。奄美、沖縄の固有種である。 ツマベニ蝶  住用のマングローブ林の先、道路沿いでツマベニ蝶を見た。食草のギョボク(魚木)の花が咲いて、何匹かが舞っていた。元気で素早く、ようやく撮れたのがこの写真。だいたいブレる。   徳之島空港は、いつの間にか「徳之島子宝空港」になっていた。たしかに全国でも抜群の出生率の島ではあるが…   (2013.7.17)

札幌行き

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 6月半ばに札幌へ。さすがに風は心地よく、しかしいつになく湿度は高いようであった。東京も今年は天候不順で、東京と札幌の気温はあまり変わらない。もしかしたらまだ残ってるかと思っていたライラックの花は、残念ながらすでに終わっていた。北大植物園内にはまだ咲いているのがあったが、これは中国その他外国産のものらしい。 煉瓦づくりの旧道庁舎前にはハマナスの花が咲いていた。この季節はニセアカシアの花が咲く時期で、何本か大木を見かけたが、街中からはめっきり減ったようだ。花粉症?によくないとかで、いまやあまり好まれない木になりつつあるという。むかしはいくつか立派な並木があって、6月の帰省が楽しみだったものだが…   千歳空港からJRで札幌駅に着く。駅ビルの一角に大丸デパートがある。地下の食料品売り場を覗いてみた。さほどの品ぞろえとも思えない。札幌市内のデパートではこの大丸がひとり勝ちだというから、JR、地下鉄駅至近でとにかく便利だということなのだろうか。売り場にあった鹿児島の痕跡は、種子島産砂糖と沖永良部のキクラゲだけであった。  (2013.6.21)

某月某日・その2

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 某月某日  柿の葉がいつのまにかりっぱに繁っていた。まだやわらかく優しげな色である。北海道には柿の木がなく、いまだにめずらしいと言う気持ちが強い。2年ほど前の鹿児島時代、農家の庭の柿がたわわに実をつけている景色を撮りたくて、あちこち回った。どこにでもありそうだが、なぜか1本もない。薩摩半島中を走り回って探した記憶がある。それでも、ない。どこの町だったか、道沿いの果物屋で聞いたら、同年の2,3月に季節はずれの雪が降り、おまけに霜で、花芽が全滅したとのことであった。 某月某日  自宅から10メートルほどのところに駐車場を借りている。先日車を動かそうと思ったら、ネコがいる。車の下から塀によじ登った。まるまると太って、しかし、すばしこそうである。写真を撮るのに1メートルまで寄ったが、別に逃げる風もないから、おおむね近くの飼いネコだろう。界隈に半ノラというか半飼い猫状態のは何匹かいるが、やはり毛艶などがいまいちである。駐車場ネコの隣のりっぱな木はビワの木。 某月某日  最近評判の、渋谷の先にある代官山蔦屋に行く。まったく新しいタイプの本屋である。ゆったりとした敷地に低層の建物が3つ、これが蔦屋本体。歩道や屋外の休憩スペースは広くとってある。本を読む場所は建物内にもあって、これも広い。店内のスターバックスから、コーヒーなどテイクアウトできる。ファミリーマートの色も地味であった。本は見た限りは美術系、ビジュアル系のものが多く、文庫、新書などはごく少ないようだ。    新しい本屋への意欲的な試みであり、好感をもった。しかし、店も町も、使う人間がつくる。1,2年経ってみないとほんとうの評価はむずかしいだろう。(2013/5/16)