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はまなすの丘海浜公園

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 10月半ば北海道石狩市へ行った。札幌の近くだからよく知っているようで、じつはあまり知らない。子供の時は海水浴に行ったような記憶がある。むかしは石狩町だったがいつの間にか石狩市になっている。  石狩市の南は小樽に接し市の最北は浜益(はまます)で、南北80キロと日本海に沿って長い。浜益の北に増毛町がある。この一帯は陸の孤島で、「増毛―雄冬」間の国道が開通したのは、なんと平成4年のことだ。それまでは雄冬への交通は船か山道しかなかった。  昭和54年に「駅STATION」という映画があった。その舞台が増毛だ。雄冬の実家に帰ろうとする高倉健が、吹雪による欠航で増毛に泊まる。増毛駅前の居酒屋の女将が倍賞千恵子。大晦日に2人で紅白歌合戦を見る。店に流れるのが八代亜紀の舟唄だった。倉本聰原作、降旗康男監督。  石狩市の南、小樽にまたがる広大な石狩新港の一角に海浜公園がある。矮性のはまなすがたくさん自生していた。遠くに見える石狩灯台は明治41年建設と古く、木下恵介の映画「喜びも悲しみも幾年月」(佐田啓二、高峰秀子主演)の舞台になった。  江戸時代から明治半ばにかけて盛んだった北前船は、カズノコや鰊など北海道の海産物を日本全国に大量に流通させた。薩摩藩は北海道の昆布を入手して琉球経由で中国にまで売り、大いに潤ったという。  (2016.10.30)

肉食系女子会

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 天文館に花椿三十郎という看板があった。新しくできた居酒屋らしい。表から見た感じでは、サラリーマンや学生向きの店だろうか。黒澤明の映画「椿三十郎」から取った名前のようである。封切られたのは昭和37年、半世紀も前のことだ。たしか正月に札幌の映画館で見た記憶がある。三船敏郎の椿三十郎と、仲代達也扮する室戸半兵衛との決闘シーンが迫力だった。当時は映画の全盛期だったが、なかでもこの映画はダントツの収益を上げたはずである。  池袋にときどき買い物に行く。自宅の大塚から山手線でひと駅と近いし、デパートや大型の本屋、名画座などもあって便利である。たまに友人と待ち合わせて飲んだりもする。先日は、池袋サンシャインビル近くの映画館で「後妻業の女」という映画を見た。大竹しのぶの悪女振りが評判だった。  先日池袋の西口を歩いていたら、飲食店などがたくさん入っている雑居ビル1階の焼肉屋に「肉食系女子会」の貼り紙があった。草食系男子の反対が肉食系女子で、最近、ますます女子強大化の傾向が際立ってきたようである。  ところで、いまどきの若いサラリーマンや学生、椿三十郎なんて映画、知ってるのかな?  (2016.9.26)

ハマナス

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 東京大塚の自宅から100メートル足らずのところに、ダチュラの花が咲く。樹高2メートルほどの木に、黄色い大きな花がたくさん咲いている。ときどき白い花もある。木はたまに行く蕎麦屋の敷地にあり、隣は有料駐車場になっている。いかにも南方の花の風情で、原産はブラジルだという。調べてみると、ダチュラとは同じ属の1年生草本を指し、この木はエンゼルトランペットということである。  この花を始めて見たのは二十数年前の屋久島である。本土にはなかなかない、インパクトのある花だった。屋久島は亜熱帯だとつくづく感じた。  8月24日は札幌にいた。ハマナスの花を見たかったがなかなか行き会えず、郊外でようやく見つけた。ハマナスは濃いピンクの花のものが多いが、白い花もあるようだ。中学生の頃、網走のオホーツク沿岸の砂浜に群生しているのを見たことがある。あれはたしか夏の終わり、今ごろの季節だったと思う。赤い実をたくさん取った記憶がある。  (2016.8.31)

よか晩や

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 自宅近くに飲み屋がオープンした。扉に「よか晩や フロムさつま」とあるから、鹿児島出身者の店らしい。さつま揚げが出るようだ。当然イモ焼酎もあるだろう。この場所にあったスナック風の店はいつの間にかなくなって、「よか晩や」はその後継である。  大塚駅近くにインド料理の店がオープンして半年になる。まるで流行っていない。インド人とおぼしき店主・調理人がいつも外を眺めている。これが逆効果で、却って入りにくい感じになっている。この場所は、蕎麦屋、居酒屋と変転してきた。この手の店の、立地と流行り方には法則があるように思える。  最近東京では昼飲みが流行で、店も11時ぐらいから始めるところが多くなった。むかしはビアホールぐらいしか、昼からやっている店はなかったものであるが。昼から飲んでるのは、さすがにリタイア組らしき男のグループが多いが、最近は若い層も結構来るようである。  「よか晩や」は、自宅から10メートルとあまりにも近く、さすがにまだ行ったことはない。  (2016.7.26)

日光東照宮

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 友人に誘われて日光のシンポジウムに出かけた。池袋から東武日光駅まで2時間かからない。JRと東武電車が乗り入れてたいへん便利になった。土曜日ということなのか、季節のせいか、日光市内から日光東照宮はかなり混雑ぶりだった。どこかで茶会でもあるのか和服姿もあちこちにいる。  シンポジウムは、日光市立美術館(小杉放菴美術)であった。この美術館は地元の画家である小杉放菴の絵と、国立公園ごとに有名画家が描いた絵が80点ほど所蔵されている。国立公園絵画には、坂本半繁二郎の阿蘇・根子岳や林武の十和田湖などがある。  時間が少しあったので東照宮周辺を歩いた。遠足の小学生の集団がいた。東照宮はさすがに人があふれていたが、ちょっと裏道に入るとたちまち誰もいなくなる。東照宮前に看板があった。東照宮の標高(この看板設置個所)は634メートルあり、東京スカイツリーの高さと同じらしい。面白い発想である。どういう意味があるかと、聞かれても困るが。  国立公園絵画には、鹿児島も当然いくつか登場する。霧島、桜島、屋久島などがある。  (2016.6.27)

玉子塚

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 東京築地市場の近くまで食事に出かけた。少し時間があったので近くの波除(なみよけ)神社にいった。波除という名称は、おそらく江戸時代に埋め立てた土地だからだろう。  ごく小ぶりの神社の一隅に玉子塚なるものがある。玉子型の石に注連縄が捲かれていた。築地市場には全国から生鮮食品が集まるが、魚や肉ではなく「玉子」を祀るというのが面白い。魚や牛豚の鎮魂碑もどこかにあるのだろうか。  知らない町にいき、時間があるときには市場にいくことがある。名所旧跡を漠然と見るより、地域の気配がよくわかる。京都の真ん中に錦小路という有名な市場があるが、最近は観光客が溢れて商売はいまいちだと地元の人はぼやいていた。  鹿児島では中央駅前にある朝市によく行った。ごくせまい場所に、ごちゃごちゃと野菜やつけ揚げなどを並べていた。指宿方面専用の建物もあって、実エンドウ、花などを見た記憶がある。先日いったが、指宿専用はすでになく、一番大きかった市場は広い駐車場に変わっていた。 (2016.5.23)

阿蘇地震

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 一瞬、ぐらっときた。日比谷公園近くの、ビルの17階で食事中だった。時間は夜の9時半を過ぎたころである。大したことはないと思ったが、思えばこれが熊本地震だった。  阿蘇のカルデラの底に3年いた。平成7年から10年までのことである。当時は、環境省の九州統括事務所が阿蘇にあった。阿蘇神社は住宅から500メートルと近く、遊びに来た友人などとよく行った。熊本城の石垣が崩れたのにも驚いたが、阿蘇神社の楼門の崩壊はさらに衝撃だった。  平成5年8月6日の鹿児島水害のときは県庁にいた。旧庁舎に一晩閉じ込められた。阪神大地震は、環境庁の水質保全局にいて、対策や復興のいわば当事者でもあった。私の個人的体験だけでも、こうしてしばしば災害絡みであるのは、この国が災いかに災害大国であるかを示している。  東北大水害から1年半後に、宮城から岩手を見て歩いた。まだ災害が生々しくそこにあった。 (2016.4.28)

ハリガミ考現学

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 むかし路上観察学会というのがあった。路傍のなんのヘンテツもないものを探し出し取り上げて、みんなで議論して遊ぶ。意味不明のとにかく妙な看板を探すとか。事象へのユニークな視点に味があった。学会員は、芥川賞作家の赤瀬川源平、イラストレーターの南伸坊、建築史家の藤森照信などなど、そうそうたるメンバー、まあしかし冗談学会です。そのテーマのひとつに、南伸坊・ハリガミ考現学という、町中の不思議なおつに、南伸坊・ハリガミ考現学という妙な、しかし味があるハリガミを集めるというのがあった。たしか、厚めの文庫本になっていたはずである。  そう思って周りを見渡すと、自宅から駅までの、たかだか4,5百メートルの間にも結構あるもんです。普段はまるで気がつかないのだが… ①  焼き鳥屋の前にあった通告。しかし、いくら暑いからって、修理せずに店を休むかなぁ。流行ってたのに。 ②   スナックの募集ハリガミ。20から40歳とは、なかなかアバウトでいい。界隈にやや古い感じ(ママも?)のスナックが何軒かあるが、つぶれもせずに営業している。客層は不明。 ③  気がついたのは最近だが、やや古いポスターかもしれない。まだ、生きてるのかな、この内容。需給関係が怪しい気配である。詐欺の一種ってこともあるのか。 ④  行方不明の、たぶんまだ子猫。晩年の内田百閒に「ノラや」という随筆がある。可愛がっていたネコの「ノラ」がいなくなり、百閒が必死に探し回る。結局見つからない。 ⑤白くま・スムージー。白くまは、鹿児島が生んだ国際的?ヒット商品である。昭和25年に商品化されたらしいが、いろいろ進化してるようだ。 (2015.8.24)

純喫茶、和さんのこと

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 むかしはあちこちにあった「純喫茶」を、最近はさっぱり見なくなった。その理由の第1は、チェーンの安いコーヒー店が激増してからでしょうね。もっとも、純喫茶を駆逐したコーヒーチェーンも、コンビニの100円コーヒーに追い上げられているというが。純喫茶なるものを東京で探してみたが、隅田川を渡った東のはずれの道路沿いに1つ上野駅の裏筋に1つ、ようやく発見した程度でほぼ絶滅に近い感じである。  鹿児島では中央駅横にある「門」というのが近いが、この店には純喫茶の文字はない。そもそも「純」喫茶とは、アルコール類を出さない店ということだったらしい。女給付きカフェの全盛期は昭和初めだから、その頃純喫茶も出現したと思われる。いまもその定義が生きているのかどうかは不明であるが。  鹿児島環境学の事務を一手に引き受けていた和さんが、この8月で勤めてから丸6年の任期を満了し、今月いっぱいで辞めることになるらしい。事務だけでなく、環境学本に載せたデータの、とりわけ私の論文のかなりの部分は彼女の作業の成果である。奄美や徳之島のシンポジウムや、種子島の視察など、あれこれ一緒にやりました。和(にぎ)という姓は、彼女と知り合わなけれ多分一生知らなかっただろうなぁ。 (2015.8.17)

小豆島の猫

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 小豆島に三毛猫がいた。島の中央、中山地区にある千枚田という棚田を眺めていると、足元にじゃれついてきた。人間にかなり慣れているから、たぶん近くの飼い猫だろう。ここには棚田の他、農村歌舞伎も残っている。歌舞伎は、一昨年、東京の明治神宮に出張して演じたのを見た。東京小豆島会なるものの催しの1つだった。     東京大塚の自宅近くは猫が多い。この一帯は年寄りも多いので、その関係もあるのだろうか。あるいは都会は年寄りに限らず孤独だから、ペットに依拠する気分になるのかもしれない。自宅裏の道で、ときどき会う黒猫の兄弟がいる。半ば飼い猫なのかおっとりしている。大塚駅への道や、その反対方面のスーパーへの道に、飼い猫、半飼い猫を合わせて、延べ20匹はいると思われる。   東大前の本郷通に山猫軒というレストランがある。カレーが何種類かあり、スパゲッティもあったかもしれない。昼飯に手頃なので何度か行った。想像通り、宮沢賢治の童話からの命名のようで、店内にそれらしき絵が飾られていた。雰囲気は落ち着いていて、なかなか好感が持てる。  鹿児島大学に赴任してすぐ始まったのが、大河ドラマ「篤姫」(平成20年)である。たいへんな人気だった。平成2年に県庁に出向してきたときには、これも大人気の「翔ぶが如く」が放映中で、どうやらNHK大河ドラマと縁があるらしい。  (2015.7.3)