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さいはて

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 人間には、「さいはて」志向とでもいうべきものがあるようだ。北と南の辺境に作家や画家が行き、観光その他で人々が追いかける。  明治時代、作家がこぞって北海道を目指した。フロンティアの明るい気分というか、あるいは憧れに近い感覚が北の大地にはあったのだろうか。国木田独歩が東京郊外の里山の風景を書いた「武蔵野」は明治31年の作であるが、その3年前に北海道に行き原生林の中を歩いている。石川啄木は、明治40年の1年間に、函館、小樽、札幌、釧路と転々とした。そのとき、各地でつくった歌がたくさん残る。札幌の大通公園には石川啄木の歌碑・像がある。  南方への、異国情緒、あるいはふる里回帰願望とでもいうのだろうか、南島志向も根強いものがある。林芙実子の『浮雲』は屋久島が舞台である。「屋久島では1と月に35日雨が降る」という一節はあまりにも有名だ。昭和18年、作家の島尾敏雄は特攻隊長として加計呂麻島にいた。そして終戦後も奄美に長く住んだ。日本画家の田中一村は昭和33年に奄美大島に渡り、無名の大島紬の染色工として孤独に死んだ。昭和52年のことだった。 (2018.4.24)

シン・ゴジラ

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 新宿歌舞伎町にゴジラがいた。ビルの屋上から街を見下ろしている。ぎょっとしたが、よく考えると東宝系のシネコンがあるビルだから、ゴジラがいてもおかしくないかな?  シン・ゴジラという映画が大当たりした。2016年公開。環境省野生生物課の課長補佐が大活躍して日本を救う。首相やその周辺がみんな死んで、この女性課長補佐がいつの間にか課長代理になって、獅子奮迅の働きをする(らしい)。らしいというのは、じつはまだ見ていないからである。  アメリカ版のゴジラ「GODZILLA」というのもあった。1998年公開だから、20年も前のことだったのか。  ゴジラは1954年の東宝映画が初登場である。映画を見た記憶はないが、映画の前に少年雑誌の絵入り小説を読んだ記憶がある。当時はかなり凶悪な怪獣だった。ビキニ環礁の水爆実験で海底から甦ったという設定。たしか、口から放射能の火を吐く。1954年は、遠洋漁業に出かけた第五福竜丸が、ビキニで水爆実験の灰を浴びた年でもあった。  シン・ゴジラでは、野生生物課長(当時)が、課長(つまり自分)は一度も映画に登場せずに死んでしまった、とボヤいていた。  (2018.3.22)

俳優 大杉漣

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 2月22日は猫の日だった。2は(にやん)と読む。昭和62年に制定されたというから、もう30年にもなるわけだ。  環境省の動物愛護管理室によると、日本のペットの双璧は犬と猫で、これまでは犬がやや多いといわれてきたが、この1,2年、どうも逆転しているようだ。ノラ猫などもいて、実数がつかみにくいが、どちらも1千万頭程度と推計されている。  環境省の自然環境局は自然が専門、動物も野生生物を対象としてきたが、平成14年の省庁の統廃合で総理府から環境省に移管してきた。動物なら同じだろうという大胆な理由だったらしい。  近年、猫が増えたのは、何といっても住宅事情が一番だろう。犬、特に大型犬は広い庭でもないと飼えない。散歩もさせなくていいし、猫の方がかなり楽である。  何年か前に、大杉漣がモーレツ人事部長役の映画を見た。新人教育など苛烈を極める男だったが、偶然猫にはまって飼うようになる。インチキ猫を売りつける“もたいまさこ”のズルそうな目付きが絶妙だった。実際も猫好きだったという大杉が、突然亡くなったのは猫の日の1日前、平成30年2月21日のことだった。  (2018.2.23)

蒸気製の白くま

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 都会でも意外とたくさんの動物に会う。犬や猫などペットはもちろんだが、動物の看板やぬいぐるみが氾濫している。  上野は前から街中にパンダがあふれていたが、昨年の子パンダ誕生以来、さらに加速しているようだ。東京都が動物園も経営しているせいか、都営バスにもツシマヤマネコやパンダがいる。  鹿児島では、天文館山之口通りに金属製のサイがいたし、中央駅前のショーウィンドウにはラッコの親子がいた。しかし鹿児島と言えばやっぱり白くまでしょうか。最初は白くまとかき氷が結びつかなかったが。白くま・無邪気は、たしか昭和21年創業と看板にあった。70年経ったいま、東京のコンビニでも白くまアイスを買うことができる。  中原中也の詩に、蒸気の白くまが登場する。「無邪気」のPRに使えないかと、密かに考えているが… 「初夏の夜」 また今年(こんねん)も夏が来て、 夏は、蒸気(じょうき)で出来た白熊が、 沼をわたってやって来る。 ―色々のことがあったんです。(後略) 中原中也  昭和10年 (2018.1.19)

忠犬ハチ公

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 東大に忠犬ハチ公像があった。ハチ公没後80周年の2015年につくられたらしい。ハチ公といえば渋谷であるが、東大では飼い主も登場している。  秋田犬ハチの飼い主は東京帝国大学教授の上野英三郎。農業土木の草分けで当時駒場にあった農学部に通っていた。出張する時は渋谷駅から出かけ、いつもハチが見送った。  ハチは1923(大正12)年に生まれてすぐ上野宅に来た。犬好きの上野はたいへん可愛がった。しかし1925年に上野は急逝する。出張に出かけたと思ったハチは、以来10年間11才で亡くなるまで駅で主人の帰りを待ち続けた。  渋谷のハチ公像は1934(昭和9)年に立てられた。除幕式には本人、つまりハチも出席した。その翌年に死んだ。  駅で待ち続けた10年間の、前半はけっこう邪険にされたという。美談になったのはその姿が新聞で紹介されてからで、忠君愛国の時代風潮も後押しした。プロレタリア作家の小林多喜二が特高に虐殺されたのは1933年のことである。  犬といえば、上野の西郷像も犬を連れている。この犬は薩摩犬という小型の猟犬で、ウサギやイノシシ狩りによく連れて歩いた。むかしの屋久島には屋久島犬がいて、農作物を狙うサルなどを追い払っていたという。その屋久島犬もいまはもういない。  犬はもっとも古いペットあるいは家畜である。おおよそ1万5千年ほど前には人と暮らしていたというから、人間との付き合いには年季が入っている。 (2017.12.27)

走る男

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 飛行機での旅行が重なると窓からの風景にも飽きて、降りるのに便利な通路側に座ったりする。先日鹿児島行きの便で、久々に窓側に座った。そろそろ富士山がと思ったら、すでに眼下に迫っている。あわててカメラで撮ったのがこの写真である。こんなに近かったかなぁ、富士山。雪の被り具合もなかなかいい感じだ。  俳優で監督の伊丹十三に「走る男」というエッセイがある(日本世間噺体系 文春文庫)。全席指定なのにとにかく全速力で走る男がいる。これが例外なく窓際に座る。配られたおしぼりのビニールをパンと音をたてて破り、ただし飛び始めると必ずといっていいぐらい寝てしまう。昭和40年代の高度経済成長期の男の典型、こんな奴がたしかにいた。そもそも当時は機内で煙草が喫えたし、サービスの新聞や週刊誌もあった。あれはいつ頃からなくなってしまったのだろうか。  富士山が見えた便の、鹿児島空港着陸直前に黒い機影が見えた。高度が下がるに連れて影もどんどん大きくなる。 (2017.11.20)

西郷どん

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 東北への玄関口、上野の山、花見、新幹線、博物館美術館などなど、上野のシンボルはたくさんあるが、最近はパンダだろうか。子供が生まれてからとくにその傾向に拍車がかかっているようだ。しかしここにきて、西郷人気が盛り返してきた気配がある。来年、明治維新150年を迎えることもあるだろうが、来年NHK大河ドラマが「西郷(せご)どん」であることのインパクトが大きいようだ。本屋に行くと西郷関連本が平積みされている。  上野駅からすぐ、アメ横の入口近くに「立ち呑みさいごう」という店がある。前から気になっていたが、先日、思い切って入ってみた。思ったより居心地がよく店主の愛想もいい。元は立ち呑みだったのを改良したのだろうか、椅子とテーブルもある。生ホッピーが売りで試すとたいへん飲みやすい。店名の由来は、鹿児島出身者だからなのか単なるファンだからなのかは不明である。 (2017.10.26)

不思議な人々

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 東京は人が多い分だけ変な人が多い。先日も錦糸町駅近くの大きな本屋で、アメリカの猟師みたいな毛皮帽と服の男に出会った。高田馬場駅では、70代後半・かなりデブの爺さんが、セーラー服に白髪のお下げ髪でJR改札口横に堂々と立っていた。もしかすると幻だったのではないかと思えるぐらい不気味な風景だった。あまりに驚いたので写真はない。  自宅近くのJR大塚駅界隈でもいろいろな人を見る。駅近くの医療専門学校の生徒とよくすれ違うが、ほぼ全員アジア系の外国人である。ときどき中近東系がいるが、日本人と欧米系の白人は見かけない。何を教える学校なのかはよくわからない。  この夏には麻の着物を来た男をよく見た。30代後半ぐらい、左手の小ぶりのカゴには煙草などが入っている。どういう職業で、どこに向かっているのかは不明である。見かけるのは土日が多い。一度タキシード姿を見たような気がする。猫ストッキングの女性は20歳前後と若かったような気がする。ブーツだから冬だったのかな。この人は残念ながら一度しか見ていない。  鹿児島はこの手の人間にはほとんど会わないように思う。もしかすると危ない奴は、早めに東京や大阪に送り込んでいるのだろうか。 (2017.9.20)

東上野コリアンタウン

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 7月末東上野のコリアンタウンに行った。最近知ったことだが、東京でもっとも古いという。上野駅から歩いて数分とごく近い。アメ横の雑踏を抜けるとすぐ、しかし人はまばらであった。焼肉屋などのごく小さな店が数十軒ある。有名な大久保通りなどより前からあるらしい。  8月1日から屋久島へ。さすがに夏で35℃と暑く、夜になってもなかなか気温が下がらない。夏の出張が疲れるのは暑さよりもむしろ温度差で、羽田空港などは妙に生暖かく、乗物、建物内は意外と寒かったりする。夏休みだから子供連れも多くて騒がしいし。  3日は奄美の写真家浜田太さんの国際賞授賞式が池袋であり、パーティに参加してきた。アジア地区の自然写真家が対象とのこと、11月にはアメリカのスミソニアンでも授賞式があるとか。アマミノクロウサギの授乳する姿・動画が、審査員の心を打ったようだ。 (2017.8.7)

かつ丼

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 突然、かつ丼が食べたくなることがある。しかし、長いことおいしいのは食べてないなぁ。かつ丼はどこにでもあるが、これだというのにはなかなか巡り合わない。阿蘇時代、国道57号線沿いのドライブインでもの凄いかつ丼を食べたことがある。薄い汁というよりお湯が丼の半ばまで浸していて、じつに恐怖だった。あれほどまずいかつ丼は空前絶後である。もっとも周りを見わたしたところでは、かつ丼なんぞ注文している客はいなかったが。天丼、親子丼、かつ丼などの丼物はそもそも関東のものなのか、関西ではいまいちだったような記憶がある。  国分がまだ国分市だった頃、「こけし」というかつ丼屋に行った。かつ丼、カツカレーなどの店だった。かつ、玉子、玉ネギ、ご飯など、それぞれの大盛がある。ダブルカツスーパーというのが、全てが倍のものだっただろうか。文化の熟度は多様性にあるとの説に従えば、鹿児島国分・かつ丼の文化性は日本一かもしれない。  (2017.7.10)