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京大総長

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 先日、4年前からやっている研究会に京大の山極総長を招いた。ふだんは30~40名の参加者であるが、さすがにヤマギワ人気は高く、70余名が参加した。彼の話はいつも具体的で、さわやかな風が吹くような気分になる。いつかテレビでやった、アフリカのゴリラと二十数年振りに再会する(山極さんと壮年に成長したゴリラの)姿は感動的であった。   鹿児島環境学の旗揚げのシンポジウムは、9年前の平成21年1月に鹿児島大学稲盛会館で開催された。基調講演に山極さんを招いた。  会場一杯、300名の聴衆が、彼の話にグングン惹きつけられていくのがわかる。彼のサル学は屋久島から始まり、のちにアフリカでゴリラの研究をすることになる。  研究会の後飲みたかったが、どうしても新幹線で帰らなければならないという。タクシーで東京駅に行くのを見送った。雨がどんどん激しくなる。 (2018.9.28)

いちごかき氷

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 暑い。今年は暑い。  全国的には30℃代後半は当たり前で、40℃超もすでにあちこちあるようだ。金足農業のエースもバテるはずである。  むかし小学校で習ったのは、たしか山形市40何度かが日本記録ということだった。この記録はずい分長い間破られなかったのではなかったか。   札幌時代、巨人阪神戦の甲子園球場が37℃と聞いても、まるで実感できなかった。京都に暮らし始めたある日、目覚めたらこれが初の35℃体験だった。泳ぐように近くの喫茶店に行って、ようやくひと息ついた。その35℃が、いつの間にか東京でも珍しくなくなった。  こう暑いとかき氷を食べたくなる。できれば昔ながらの単純なヤツがいい。昨年8月、神田駅近くの喫茶店でかき氷を食べた。オーソドックスないちごシロップのかき氷だった。  かき氷といえば、鹿児島名物の白くまは昭和21年に発明されたらしい。とにかく大きく、彩(いろどり)で、チェリー、レーズン、ミカンや緑の寒天などが刺してある。 (2018.8.23)

じろう物語

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 大塚に引っ越してきてすぐだった。自宅裏の路地にひん死の猫がいた。せいぜい生後1ヵ月、獣医に連れて行ったが「とても育たない。これもなにかの縁だから家で看取ってあげなさい」と言われ、ガッカリして帰ってきた。これがなぜか甦って、今年の5月まで14年間生きた。名はじろうという。  茶虎の大型の雄猫だが気はやさしい。前からいた阿蘇出身の10才年上の猫に可愛がられた。4年前、これも駒込の道端の植え込みで拾われた妹猫を、いじめることもなく仲良く暮らした。路地時代にかかった病気のせいか、終生片目だった。室内での生活にとくに不自由はないようであった。家人の引っ越しに付き合って、東京→鹿児島→東京と移動した。鹿児島から戻るときは開通したばかりの新幹線に乗った。大阪乗り換えで7時間かかった。  猫は最初の1年が人間の20年に、その後1年が4年換算で年をとるという。その計算でいくと、14才は72才になる。長寿とまではいかないが、一度は獣医に見放された命だからよく生きた方だろう。 (2018.7.23)

花の6月

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 6月はいっせいに花開くというが、これはヨーロッパのことだろう。日本は梅雨の盛りで、東京でもこの時期はむしろ花は少ない。札幌は名物のライラックが咲くのが6月で、ライラック祭りも6月にある。北海道は梅雨もなく、ヨーロッパに似た気候のようだ。先日調べたら、イタリアのミラノと日本の最北端・稚内の緯度が同じだったのには驚いた。イタリアは、ヨーロッパでも南にあるという先入観があったし。何年か前、稚内に近いサロベツ湿原に行ったことがある。地元の人が10年に一度と言うほど、エゾカンゾウの黄色い花が湿原一面に咲き誇っていた。あれもたしか6月だったように記憶している。  屋久島は海抜ゼロメートルから2千メートルまであるから、標高順ごとにさまざまな花が咲く。屋久島シャクナゲが咲くのも5月から6月だ。数年前に屋久島の北の吉田集落に、里のエコツアー体験に行った。じつに楽しく、地元の主婦グループがつくってくれた昼食もすこぶる美味しくて大満足だった。  (2018.6.25)

村上主義

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 村上春樹の文庫新刊に、田中一村記念館を見に行った話が出てくる。彼はふだんはアメリカで暮らしているが、世界中の気に入った町に住んで小説を書くらしい。しかし、奄美の田中一村までマークしていたとは… さすがノーベル文学賞候補者だけのことはある(関係ないか)。  5月中旬は札幌にいた。ライラックの花が咲く直前だった。着いた日は暑くどうなることかと思ったが、翌日は一転して寒く震えるほどであった。この寒暖の変化は、いかにも北海道の初夏の気候である。  札幌から戻ってすぐ鹿児島に行った。存外暑くなかったが、桜島の灰が降っていた。むかし県庁に出向していたころはまだ旧庁舎(いまの県民交流センターの場所にあった)にいたが、当時の桜島はしばしば噴火していたような記憶がある。  鹿児島と北海道は縁が深く、北海道開拓長官として辣腕を振るった黒田清隆や、日本初の麦酒醸造所(サッポロビールの前身)を札幌につくった村橋久成は、いずれも旧薩摩藩士である。  ところで、村上春樹の熱烈なファンをハルキストというらしい。本人はこの呼び方はあまり好まず、せめて村上主義者にしてくれと言っている。 (2018.5.29)

さいはて

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 人間には、「さいはて」志向とでもいうべきものがあるようだ。北と南の辺境に作家や画家が行き、観光その他で人々が追いかける。  明治時代、作家がこぞって北海道を目指した。フロンティアの明るい気分というか、あるいは憧れに近い感覚が北の大地にはあったのだろうか。国木田独歩が東京郊外の里山の風景を書いた「武蔵野」は明治31年の作であるが、その3年前に北海道に行き原生林の中を歩いている。石川啄木は、明治40年の1年間に、函館、小樽、札幌、釧路と転々とした。そのとき、各地でつくった歌がたくさん残る。札幌の大通公園には石川啄木の歌碑・像がある。  南方への、異国情緒、あるいはふる里回帰願望とでもいうのだろうか、南島志向も根強いものがある。林芙実子の『浮雲』は屋久島が舞台である。「屋久島では1と月に35日雨が降る」という一節はあまりにも有名だ。昭和18年、作家の島尾敏雄は特攻隊長として加計呂麻島にいた。そして終戦後も奄美に長く住んだ。日本画家の田中一村は昭和33年に奄美大島に渡り、無名の大島紬の染色工として孤独に死んだ。昭和52年のことだった。 (2018.4.24)

シン・ゴジラ

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 新宿歌舞伎町にゴジラがいた。ビルの屋上から街を見下ろしている。ぎょっとしたが、よく考えると東宝系のシネコンがあるビルだから、ゴジラがいてもおかしくないかな?  シン・ゴジラという映画が大当たりした。2016年公開。環境省野生生物課の課長補佐が大活躍して日本を救う。首相やその周辺がみんな死んで、この女性課長補佐がいつの間にか課長代理になって、獅子奮迅の働きをする(らしい)。らしいというのは、じつはまだ見ていないからである。  アメリカ版のゴジラ「GODZILLA」というのもあった。1998年公開だから、20年も前のことだったのか。  ゴジラは1954年の東宝映画が初登場である。映画を見た記憶はないが、映画の前に少年雑誌の絵入り小説を読んだ記憶がある。当時はかなり凶悪な怪獣だった。ビキニ環礁の水爆実験で海底から甦ったという設定。たしか、口から放射能の火を吐く。1954年は、遠洋漁業に出かけた第五福竜丸が、ビキニで水爆実験の灰を浴びた年でもあった。  シン・ゴジラでは、野生生物課長(当時)が、課長(つまり自分)は一度も映画に登場せずに死んでしまった、とボヤいていた。  (2018.3.22)

俳優 大杉漣

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 2月22日は猫の日だった。2は(にやん)と読む。昭和62年に制定されたというから、もう30年にもなるわけだ。  環境省の動物愛護管理室によると、日本のペットの双璧は犬と猫で、これまでは犬がやや多いといわれてきたが、この1,2年、どうも逆転しているようだ。ノラ猫などもいて、実数がつかみにくいが、どちらも1千万頭程度と推計されている。  環境省の自然環境局は自然が専門、動物も野生生物を対象としてきたが、平成14年の省庁の統廃合で総理府から環境省に移管してきた。動物なら同じだろうという大胆な理由だったらしい。  近年、猫が増えたのは、何といっても住宅事情が一番だろう。犬、特に大型犬は広い庭でもないと飼えない。散歩もさせなくていいし、猫の方がかなり楽である。  何年か前に、大杉漣がモーレツ人事部長役の映画を見た。新人教育など苛烈を極める男だったが、偶然猫にはまって飼うようになる。インチキ猫を売りつける“もたいまさこ”のズルそうな目付きが絶妙だった。実際も猫好きだったという大杉が、突然亡くなったのは猫の日の1日前、平成30年2月21日のことだった。  (2018.2.23)

蒸気製の白くま

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 都会でも意外とたくさんの動物に会う。犬や猫などペットはもちろんだが、動物の看板やぬいぐるみが氾濫している。  上野は前から街中にパンダがあふれていたが、昨年の子パンダ誕生以来、さらに加速しているようだ。東京都が動物園も経営しているせいか、都営バスにもツシマヤマネコやパンダがいる。  鹿児島では、天文館山之口通りに金属製のサイがいたし、中央駅前のショーウィンドウにはラッコの親子がいた。しかし鹿児島と言えばやっぱり白くまでしょうか。最初は白くまとかき氷が結びつかなかったが。白くま・無邪気は、たしか昭和21年創業と看板にあった。70年経ったいま、東京のコンビニでも白くまアイスを買うことができる。  中原中也の詩に、蒸気の白くまが登場する。「無邪気」のPRに使えないかと、密かに考えているが… 「初夏の夜」 また今年(こんねん)も夏が来て、 夏は、蒸気(じょうき)で出来た白熊が、 沼をわたってやって来る。 ―色々のことがあったんです。(後略) 中原中也  昭和10年 (2018.1.19)

忠犬ハチ公

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 東大に忠犬ハチ公像があった。ハチ公没後80周年の2015年につくられたらしい。ハチ公といえば渋谷であるが、東大では飼い主も登場している。  秋田犬ハチの飼い主は東京帝国大学教授の上野英三郎。農業土木の草分けで当時駒場にあった農学部に通っていた。出張する時は渋谷駅から出かけ、いつもハチが見送った。  ハチは1923(大正12)年に生まれてすぐ上野宅に来た。犬好きの上野はたいへん可愛がった。しかし1925年に上野は急逝する。出張に出かけたと思ったハチは、以来10年間11才で亡くなるまで駅で主人の帰りを待ち続けた。  渋谷のハチ公像は1934(昭和9)年に立てられた。除幕式には本人、つまりハチも出席した。その翌年に死んだ。  駅で待ち続けた10年間の、前半はけっこう邪険にされたという。美談になったのはその姿が新聞で紹介されてからで、忠君愛国の時代風潮も後押しした。プロレタリア作家の小林多喜二が特高に虐殺されたのは1933年のことである。  犬といえば、上野の西郷像も犬を連れている。この犬は薩摩犬という小型の猟犬で、ウサギやイノシシ狩りによく連れて歩いた。むかしの屋久島には屋久島犬がいて、農作物を狙うサルなどを追い払っていたという。その屋久島犬もいまはもういない。  犬はもっとも古いペットあるいは家畜である。おおよそ1万5千年ほど前には人と暮らしていたというから、人間との付き合いには年季が入っている。 (2017.12.27)