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栗林公園

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  6月、ひさしぶりに栗林公園行った。20年ぶり、あるいは30年ぶりだったかもしれない。高松松平藩主が5代100年かけてつくったこの大名庭園は、さすがに落ち着いた雰囲気である。抹茶など飲みつつ眺めていると、じつにゆったりした気分になる。おおきな池に浮かんだ舟から見物している観光客がいた。これはむかしはなかったようである。島津から贈られたという巨大な蘇鉄があった。   高松市の中心部から車で10分ほどのところに屋島がある。若いころ、この山上に3年ほど暮らし、仕事をした。瀬戸内海国立公園の管理業務である。職員は1人しかいない。ヒマにまかせて?県立図書館に通い明治初めの栗林公園の成立事情など調べたりした。大蔵卿井上馨と県令の間で何度も手紙のやりとりがあり、払い下げられてようやく県管理の公園となった。   今年になって、文京区の六義園、銀座の先の海際にある浜離宮など、大名庭園をいくつか見て歩いた。それぞれ趣向があり、梅や桜の季節でもあったから、たいへん楽しい思いをした。浜離宮から、隅田川を上る船で浅草に戻った。    鹿児島の仙巌園磯庭園は、17世紀半ば島津19代藩主島津光久がつくった別邸である。日本の、大名庭園、回遊式庭園を代表する名園で、作庭技術もさることながら、庭から眺める桜島と錦江湾の風景が豪快である。庭園内に猫神社があって、写真を送ると飼い猫のお祓いをしてくれる。  (2014.6.30)

黒うさぎ

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 東京、麹町の「黒うさぎ」なる店に行った。前から気になっていたが偶然に。南島酒房とあるから、奄美関係の居酒屋だろうか。入ってみると奄美というより沖縄色が強く、店内に流れてるBGMはビギン(石垣島出身)の曲だった。場所柄なのかどうか、料理も野菜中心、都会風にアレンジしてあって、どうやら女性客を意識しているようである。豚肉、ゴーヤ、もずくはやっぱり出ました。最後は鶏飯、さすが「黒うさぎ」。これも少量、上品な味でした。   その近くに「やくしま」という料理屋がある。ここはまだ行ってないが、昼には弁当を売っていて、いつも客が並んでいる。写真を撮りがてら店の人に聞いたところでは、店自体は開業して30年になるが、現在の二代目店主は屋久島出身者ではないという。  「黒うさぎ」、「やくしま」とも、夜だけでなく昼食時もやっている。都心のオフィイス街の夜は人が極端に減るから、昼の営業は商売上の必然なのだろう。    上野駅の裏というか隣というか、最近建て替えた新しいビル内の居酒屋で飲んだ。上野駅周辺はここのところ再開発が進行中である。このビルもたしか聚楽第?とかいう、おそろしく古びたレストランがあったような記憶がある。  ビルの名前は「3153」、さいごうさんと読ませるらしい。場所は上野の西郷像の真下になる。 ( 2014.5.22)

猫シリーズ・その2

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 ペット本が売れているという。とくに犬や猫の本。やや猫本のほうが優勢らしい。この本の売れない時代に、公称100万部超だというからバカにならない。街で猫の絵付きバッグを持つ女性をよく見る。関連グッズもどうやら猫優勢のようだ。   旅行、街歩きのついでに、犬猫の写真も撮るが、猫はほぼ単独行動なので撮りやすい。犬はだいたい飼い主と散歩中だから、やや遠慮がある。いちいち断るのも大げさな気がするし。もっとも猫だって半数ぐらいはすぐ逃げてしまって、写真など撮らせてくれないが。   どちらかというと、古い一戸建てが密集した、下町風の路地の多い地域が、猫には暮らしやすいようである。年寄りが多いこととも関係しているだろう。漁村でよく見かけるのは、餌が豊富だからだろう。都市より農村、田舎に多いのは、住宅、庭が広いことが第1の理由でしょう。都会に比べて、人の心もたぶんおおらかなんじゃないかなぁ。   しばらく前、「猫の一年」という本を買ってきた。予想に反して、サッカー、それもワールドカップに関するエッセイ本だった。ワールドカップ・サッカーは4年に1度、猫の1年は人間の4年と同じ、ということからきた題名らしい。著者の金井恵美子は純文学作家で、相当本格的な猫好き、サッカー好きである。  わが家にも10年選手のオス猫と、まだ拾われたばかりのメス猫がいる。小さなメス黒猫のほうが断然強気で、いつも大男の茶虎を追い回している。 (2014.4.25)

桜2014

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 桜は2,3分咲きがいい。  今年の桜開花は例年通りで、3月末がピークのようである。昨日久しぶりに新宿御苑に行ったが、枝垂れ桜はほぼ満開だった。ソメイヨシノにはやや早く、まだ1,2分咲き程度であった。  札幌の友人からの情報によると、大通公園のクロッカスがようやく芽を出した程度だというから、桜はまだまだだろう。昨年はたしかゴールデンウイーク明けようやく咲いたような記憶がある。  大塚、自宅近くの桜並木はまだつぼみ状態、月末に咲くかどうか。この並木はけっこうな古木で、といっても4,50年生だろうが。今年のはじめに何本か伐採された。空洞などができて危険だということらしい。幕末につくられた園芸種・ソメイヨシノの、本当の寿命はまだよくわかっていない。  鹿児島では、空港への高速道路上から山桜が点々と見え出すと春である。これは3月初めで、甲突川沿いのソメイヨシノは3月半ばだっただろうか。2年前に鹿児島を出るときには満開だった。 (2014.3.28)

看板その2

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 自宅近くにこの天ぷら屋の看板というか店がある。少なくともこの10年はこの状態のままだ。10年以上前にこの天ぷらの値段だから、それほど安いというわけではない。その割りに店自体はいたって小さく、一種のテイクアウトの店だったのかもしれない。   そこから50メートルほど離れたところに、にきび薄毛しみ云々という看板がある。こちらも完全に廃業している。この字の感じはいかにもシロートが書いたとおぼしい。ここは元々美容室だったようだ。  平成2年に鹿児島に来て一番驚いたのは、このビル壁面の永田シロアリだった。シロアリ駆除の会社は九州のあちこちで見かけるが、ここは天文館の中心も中心、ほんとにど真ん中の場所である。シロアリがまたリアルで迫力がある。この一帯に再開発の構想があり、このビルも対象となっていると最近聞いた。そうなると、あれほど不気味に思っていたにもかかわらず、やや淋しいような気がしてくるから人間の心理は微妙である。   奄美・龍郷町の黒糖焼酎瓶が3本並んでいる眺めも独特だ。焼酎瓶の高さは数メートルはあるだろう。奄美空港から名瀬に向かうときには必ずこの焼酎瓶を見ることになる。これもインパクト十分である。  黒糖焼酎は米麹と黒糖を発酵させてつくるが、意外なことに原材料のコメはタイ米、黒糖は沖縄産のものを使う。奄美ではいまやコメはほとんどつくっていない。黒糖はもちろんたくさんあるが、税制上の措置、沖縄産黒糖との仕分けで、奄美生産分は加工用には使えないことになってるからだという。 (2014.3.11)

気温差30℃

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名瀬アーケード  3月8日、奄美で大雪にあった。とはいっても、奄美に雪が降ったわけではない。羽田空 港が積雪で閉鎖されて乗る予定の飛行機が欠航、帰れなくなったためである。奄美―羽田直行便は1日1便しかない。同じの運命の人たちはたくさんいて、空港内でなすすべもなくウロウロしていた。奄美空港での4時間待ちはキツイ。   2月1日まで札幌で、6日から9日までは奄美大島。気温差は30℃ぐらいあった。奄美に4日もいたのは、日本列島の大部分に降った雪のせいである。  今年の札幌は雪が多く、いつになく寒いとの事前情報であったが、雪はそれほどでもなくしかし寒さは厳しかった。国際的イベントである札幌雪祭り開催直前で、会場となる大通公園では自衛隊が雪像づくりに励んでいた。  札幌は鹿児島と縁が深い。というか、鹿児島が北海道開発をほぼ担ったといったほうが正確だろう。薩摩藩士黒田清隆は明治3年から北海道開拓次官、明治7(1874)年から15年までは長官である。大通公園6丁目には彼の像がある。  サッポロビールは、これも開拓使であった薩摩藩士村橋久成の主導で明治9年札幌にビール工場ができた。政府内では神奈川県立地派が優勢だったから、彼なしにはサッポロビールは存在しなかっただろう。当時の名称は「開拓使麦酒醸造所」といかめしい。  札幌の中心部にあり日本を代表する都市公園でもある大通公園は、佐賀藩士島義勇の構想したものだ。当時北海道開拓使判官だった。その後、佐賀の乱で江藤新平とともに斬首されたのは明治7年のことである。 (2014.2.17)

2014元旦

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 今年は新年の寺社詣でがいつにも増して多い。明治神宮など大どころの様子は確認していないが、手近で見たいくつかはかなり混雑していた。早稲田大学文学部前の穴八幡神社は毎年人気があり、今年もそうだった。自宅近くの天祖神社は、元旦の零時過ぎにはもう行列ができていた。巣鴨のとげ抜き地蔵も相変わらず盛況である。マスコミなどが伝える好景気の数字はともかく、世間はアベノ景気にいまいち実感がもてず、たぶん神頼みの気分なのだろう。  鹿児島時代もあちこちの神社に出かけたが、市内ではやはり照国神社の人出がダントツである。2,3年前の正月に川内の新田神社に行った。急な石段と楠の大木があって、神社らしい神社だった記憶がある。  さて、人気の穴八幡からほんの少し離れたところに北野神社があった。ごく小振りの神社で誰もいず、社務所が準備したお神酒も飲まれた気配がない。しかしこちらのほうが森閑として、なんとなく神社らしい。 (2014.1.9)

クリスマス模様

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  もう、クリスマスだ。ついこの間手帳とカレンダーを新しくしたような気がするのに。  街を歩くとイルミネーションが華やかである。一時地味になったように思うが、最近すこしもり返したようである。  もっともあんまり派手なのは趣味にあわない。前に、明治神宮前のケヤキ並木・電飾では反対運動がおきたというが、いまはどうなってるのだろうか。  銀座4丁目のミキモト真珠店では季節ごとに飾りを変える。桜の時期には本物を植えたり。クリスマス・ツリーも小振りでなかなか上品である。  日本橋高島屋のショウウインドウでは、トナカイが首を振っていた。  札幌の大通公園ではイルミネーションが。これはクリスマス用というより雪祭りその他冬の間用かもしれない。冬の雪国はなんとなく淋しいし。  鹿児島の中央駅前広場にツリーがあるのを見たことがある。年によってはなかったりするらしいが、今年はどうなんだろう。 (2013.12.6)

蕎麦100年戦争

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 蕎麦が好きになったのはいつごろからだったろう。小学校高学年にはもう好きだったような記憶がある。札幌の蕎麦出汁は関東をさらに濃厚にしたものだ。麺類の出汁の濃淡については、関東と関西のいわば100年戦争で、決着はとてもつきそうにない。関西人の関東攻撃の定番は出汁の濃さで、初体験時には驚いて「半分残した」と判で押したようにいう。  京都時代は舌に合う蕎麦屋を探すのに苦労した。そもそも京都の蕎麦専門店は限られた高級店のみで、うどんと蕎麦をメニューにならべた店がほとんだった。京都に蕎麦屋が激増したのはここ10年から20年のことではないか。しかし、北前船で運んだ北海道のニシンを加工して、名物「にしんそば」に仕立てるのはいかにも京都らしい。   東京の老舗の蕎麦屋では、神田「藪」や同じく神田の「まつや」が有名である。作家の池波正太郎がひいきだったという。両店ともいつも客でいっぱいであった。今年はじめ、この「藪」が火事で焼け、全国ニュースにもなった。  東京の北、南千住の商店街に砂場がある。千住は江戸の宿場町だった。砂場建物も大正初めのもので、江東区の文化財に指定されているらしい。砂場は東京では赤坂、虎ノ門など何軒かある。てっきり東京発祥のブランドだと思っていたが、なんと大阪だという。大阪城をつくったときの土砂の置き場に屋台風の簡便な蕎麦屋ができ、砂置き場―砂場がいつの間にか屋号になったという。  鹿児島はそばどころで、一時期の生産量は全国でもトップクラスだった。最近はベストテンにようやく入るぐらいだが。蕎麦屋もそれなりにあるが、どちらかというと素朴で昔ながらの味が多い。東京風の蕎麦屋がポツポツとできはじめたのは近年のことだろう。東京で修業して開店したらしき店がいくつかあり、どこもそれなりに工夫がある。私としてはいまのところ、市役所向かい大通公園近くの「あき葉」、東千石アーケード内の「丸新」が気分に合う。 (2013.11.28)

全国ラーメン事情

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  日本で一番多いのはラーメン屋じゃないだろうか。全国でどのぐらいあるのか数えたことはないが、軽く数万軒はあるような気がする。全国どの町に行ってもラーメン屋だけはある。日本人はカレーライスも同じように好きだが、カレーの専門店は意外に少ない。カレーもあるという店はたくさんあるが。  ラーメンといえば札幌ラーメンが有名だ。しかし、ひき肉、もやし、ときどき玉ねぎなどの炒めたのが入った味噌ラーメンは、わたしの子供時代にはなかったものである。むかし札幌で食べていたのは、ごくふつうの中華そば。チャーシュー、ナルト、支那竹に海苔なんかが乗ってるやつですね。味噌ラーメンは、昭和30年頃、札幌の三平という店が創作したものが札幌ラーメンの代名詞になって、あっという間に全国にひろがった。  文化が進化し、残っていく一般法則は、ラーメンについても同様らしく、日本各地で独自の発展形態を見せる。 福島の喜多方市にラーメンを食べにいったことがある。老舗風の店に、肉そばというメニューがあった。やや不安に思いつつ注文してみたが、チャーシューが十重二十重に重なって麺がまるで見えない。たぶん、30枚はあったのではなかろうか。居合わせた他の客がどよめいたほどの迫力であった。東京の高田馬場に住んだことがある。ここは早稲田大学のほか、専門学校がやたらとある。若者があふれているせいかどうか、東京でも有名なラーメン激戦地帯だ。札幌、九州その他なんでもある。3軒並んでいたりする。  九州はとんこつスープラーメンが特徴だ。鹿児島のものはまた独特の進化を遂げていて、とんこつスープに醤油、味噌などを加えてなかなかうまい。むかしは天文館の「こむらさき」という店にはいつも行列ができていたものだが、最近はそれほどでもないようである。 (2013.10.18)