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エスニック大塚

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大塚は池袋の隣だが、地価がやや安くて便利なのか、アジア系の人たちが多いようだ。ベトナム料理店は前からよく見かけたが、それ以外のアジア料理の店もたくさんある。スリランカ人の八百屋や、先日は中国語を大声で喋っている大工までいた。 コロナ休業が長引いて気力を失ったのか、人知れず止めてしまった店もいくつかある。老夫婦でやっていた衣料品店、改造工事中だったが、どうやらうどん屋になるらしい。 むかし、評論家の加藤周一は、日本文化の特色は雑種性にあると言って評判になったことがある。最近その雑種文化性、さらに加速してきたようだ。鹿児島は東京よりはるかにアジアに近いから、そのうち… 大塚駅北口、タイ料理店 インドは昔から中国に次いで多い

7月中旬奄美へ

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7月中旬奄美へ。梅雨も終わって晴れ、時々スコール。 暑さは東京よりやや楽なぐらいで、風は奄美の方が爽やか。 というか、東京はここのところ亜熱帯化してる気配。 オリンピック、コロナで毎日ドタバタしてるのも、暑く感じる原因なのかなぁ。こう日替わりで問題が出てくると、さすがにウンザリ。 コロナ、この1年間、同じことを聞かされ続けてるような気がする。 医療崩壊とか。 オリンピックもロゴ盗作騒ぎとか、思えばあれが始まりだった。 それにしても、権力中枢の誰にも歯止めというか、覚悟がないのが情けない。 もしかすると、これまで電通がすべて仕切ってたのか!? 7月半ば、奄美大島の猫 同じく、当地ナンバー

雨上がりの屋久島

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 屋久島に行ってきた。梅雨の最中だったがあまり降られず、ひさびさの屋久島を楽しんだ。日本庭園は緑が鮮やかになる雨の日がいいと言う。屋久島も雨の風情は捨てがたいものがある。動物もそう思うのか、島の西側旧西部林道にたくさん出てきた。ここのシカとサルは,いかにも仲が良さそうだ。ほとんど人を恐れる気配がない。森の中の動物たちの風景は幻想的であり、はるか昔の日本にタイムスリップしたような気分であった。中世のヨーロッパかもしれない。もっとも、ヨーロッパにサルはいないのであるが。  鹿児島発の飛行機はコウノトリ号だった。兵庫県の豊岡市にコウノトリ但馬空港があり、大阪から一度乗ったことがある。同じ飛行機が似た規模の空港に使われるようだ。しかし「こうのとり」って、こういう漢字だったのか。 (2021.7.5) 旧西部林道のシカとサル プロペラ機コウノトリ

天文館改造中

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 永田シロアリビルがなくなった。天文館変革の象徴かもしれない。最初の大きな変化は三越の撤退と、2010年のマルヤガーデンズの開業だった。11年前のことである。  30年前に鹿児島県庁に来た。赴任して1か月たった頃だったか、課で飲み会という話になった。いまの県庁(鴨池新町)ではなく古い方の県庁(山下町)ですね。待ち合わせ場所が「ナガタシロアリ前」だという。意味がわからない。「ナガタ?」「シロアリ??」。行って初めてわかったが、天文館の真ん中一等地に巨大なシロアリがいた。不気味だった。  現在この一帯が大工事中で、シロアリビルもなくなった。令和3年5月末現在、二十階以上ありそうなビルが建設中である。シロアリビルの前にあった林田ホテルはなくなって久しい。いまは駐車場である。 (2021.5.30)   ありし日の永田シロアリ 天文館大工事

居酒屋 屋久島

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 池袋に行った。緊急事態宣言延長後、1軒ぐらいは闘う店、飲ませる店があるかもしれない。歩いてみたが。さすがに表通りにはないですね。代わりに居酒屋「屋久島」を発見した。2000べろと看板にある。2000円でべろべろになるまで飲めるということだろうか。残念ながら休店中だった。  東京都知事は、コンビニで酒を売るなとまで言い出した。コンビニ前で若者がたむろして飲むということらしい。本気なのか、得意のパフォーマンスなのかは不明。この人は、県を越えて東京に来るなとまで言い始めたからなぁ。  東京は、通勤通学、買い物、仕事その他、隣県の埼玉、千葉、神奈川から毎日大量に人が来る。というか、1都3県は東京圏として一体不可分の関係だ。自宅から山手線でひと駅の池袋などは、歩いている人の大部分が埼玉県民ではないかと思うほどである。 池袋西口 居酒屋「屋久島」 池袋はあちこちにフクロウがいる 写真は池袋西口駅前のフクロウ

ピンクのダリア

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 今週初めは鹿児島にいた。東京から来た人間は、かなり警戒されているような気がした。そのせいというわけでもないが、1人で街中を歩いた。マルヤガーデンにも久々に行った。平日の午前中だから人がいないのは当然かもしれないが、ひと際元気がないように思った。もっとも全国的にデパート、スーパーは売り上げ減、コンビニまでが最近苦戦しているらしい。その一方で、天文館には巨大な建物が建設中だった。アーケード内タカプラから永田シロアリまでの再開発である。  桜島の噴火がゆっくり昇っていった。晴天、無風。ダリアは復活して久しいが、ピンクのダリアまであるようだ。鹿児島の花屋にあった。 (2021.4.21)

都忘れ

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花屋の都忘れ  近くの花屋で濃い青というか、やや紫がかった色の花を見た。花の名は「都忘れ」(ミヤコワスレ)。はるかむかし、この名前を聞いて心に残った。13世紀に島流しにあった順徳上皇は、この花を見て都への思いを束の間忘れたという。流された島は佐渡島であった。 東京錦糸町のソメイヨシノ  ソメイヨシノは、東京染井の植木屋が幕末につくった品種である。  ソメイは地名から、吉野は当時の桜の名所だった奈良県吉野山から取ったのだろう。江戸彼岸と大島桜を掛け合わせてつくった。この説は、1916(大正5)年珍しい植物を求めて日本全国を渉猟したアメリカの植物学者A・H・ウイルソンも唱えた。彼はもちろん屋久島ウイルソン株の発見者である。  今年の東京のサクラは開花が早く、もう散り始めた。鹿児島甲突川のソメイヨシノは少し遅いというから、これから満開だろうか。 (2021.4.1)

歩行者天国

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 2月初め、丸の内まで出かけた。東京駅を出て皇居側の一帯である。この辺りに来たのは久しぶりで、少し歩いてみた。寒さはそれほどでもなかったが、小雨でさすがに人は少ない。一角が歩行者天国になっていて屋台の車が2台いた。  歩行者天国は全国あちこちにあり、銀座が規模も大きく有名である。始まったのは、たしか北海道旭川市の駅前通りだったと思う。当時は買物公園という名前ではなかっただろうか。昭和40年代、モータリゼーションが本格化していた頃だったから、車を排除した駅前通りという発想は斬新だった。かなり評判になり、全国的に展開していった。歩道橋が整備され出したのは、その少し前の昭和30年代後半からだった。これは車優先思想が覆い難い。  ところで、鹿児島には歩行者天国はあっただろうか。おはら祭りでは車も電車も止めていたが。 (2021.2.4)

大晦日

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 季節のない1年だった。せめて大晦日ぐらいはと、近所の蕎麦屋へ行った。年越しそばの出前がないのは、今年だからだろうか。昼過ぎ、早めに出かけたが、似たような人間はいるものでそれなりの入りだった。テイクアウトの張り紙があった。今年は自宅派が多いだろうから、もう少し遅く買いに来るのかもしれない。  12月27日は日光の友人との食事会に出かけた。池袋駅から東武日光駅まで2時間足らず、特急電車だがさすがに客は少ない。  日光市街地でも標高600メートル近く、奥日光の湯元地区は1600メートルある。駐車場で雪に埋もれた車を見かけた。一晩でそうなるらしい。下りて日光市の金谷ホテルでコーヒー。この明治6年開業のリゾートホテルにはイザベラ・バードも滞在したという。昔読んだ日本奥地紀行によれば、湯元まで馬で行ったようだ。小柄で体の弱い女性だったというが、英国人の気質なのか大航海時代の名残りなのか、おそるべき行動力である。 (2021.1.1)

柿の実

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 赤い柿の実を見ると嬉しい気分になる。柿は常緑広葉樹で、北海道にはない。初めて北海道を出て京都に住んだときには、季節感が微妙にずれて面食らった。北海道は一斉に葉が落ちて、やがて冬が来る。  阿蘇時代、一念発起して干し柿づくりに挑戦した。なんとか出来上がって、ごく親しい人たちに配った。  朝日新聞の友人にも送った。しばらく経ったある日、天声人語に私が書いた添え書きの文章を発見して驚いた。  いわく、 「当家謹製干し柿 11月中旬に仕入れた阿蘇産渋柿を、1つ1つ丹念に皮をむき、熱湯をくぐらせ、軒下に吊し、天日に干すこと4週間余、根子岳おろしの寒風にさらされ、ほど良く仕上がったと自負しております。お茶請けに、または酒の肴に、田舎の暮らしを思い描きつつお召し上がりいただければ幸いでございます。心を食え!主人敬白」  どうも、酔った勢いで書いた気配である。 (2020.12.07)