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映画

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高峰秀子・浮雲   女優高峰秀子の最高傑作「浮雲」は昭和30年に公開された。舞台はもちろん屋久島である。浮雲の宿というホテルが安房にまだある。経営者は何代か変わったようであるが。相手役は森雅之、戦後の混乱期に職を求めて屋久島に渡り、営林署勤務という役どころだ。  映画産業と最盛期は昭和33(1958)年、年間13億人が映画館に足を運んだ。現在は1億数千万人だから、映画人口は10分の1程度になってしまった。最近映画館に行ったのはいつ?と聞かれて即答できる人はあまりいないだろう。映画好きのわたしでも危うい。たしか鉄の女「サッチャー」だったかな。とすれば半年前のことになるのか…  都城市・看板  テレビが映画を駆逐したのはたしかなことだ。なにせ、タダだし。最近の脅威は、レンタルビデオ店の存在だろう。新旧だいたいの映画は揃ってるし、こちらの都合でいつでも借りられる。新作のレンタル化も、最近はとくに早くなったようだ。  何年か前、都城市に行った。町はずれの飲み屋街に映画の看板が懸っていた。映画館ではないようだから、ディスプレーの一種だろう。 夕張・看板  北海道の夕張市では前から映画祭をやっている。市が再建団体化したあとも続いているようだ。街には映画の看板があちこちにあったが、なんとなく淋しい感じは否めない。 加計呂麻島・ディエゴ並木   鹿児島を舞台にした映画はたくさんある。高倉健の「ホタル」は垂水市、釣りバカ日誌は甑島だった。山田洋次は奄美好きで、男はつらいよのテレビ版最終回は奄美大島、映画の最終48作目は奄美大島の先の加計呂麻島である。海際のディエゴ並木の奥に家のセットが残っているという。(2012/11/15)

紅葉

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 北国育ちにとっての秋は、長い冬の予感が強くしてやや曖昧な気分の季節である。しかし日本人は、桜とならんでこの紅葉の季節が好きだ。京都への観光客は紅葉の盛りの11月がもっとも多い。何年かまえの11月下旬、所用で京都市内のホテルを探したが、どこにも空き室がなくて困りはてたことがある。 支笏湖畔・イタヤカエデ  東北観光は十和田湖や奥入瀬の紅葉時期というのがむかしからの定説で、つまり10月中下旬。ここの紅葉、黄葉がおわると東北は急に淋しくなる。北海道もほぼ同様だ。支笏湖は10月中旬、札幌は少し遅くて下旬だろうか。 人吉城址   九州は常緑広葉樹が基本で紅葉する木はほとんどない。雲仙や久住山などをのぞけは紅葉の楽しみは少ない。ヤマハゼが山中にぽつぽつと紅くなっているぐらいだ。徳之島の知人が紅葉を見たくてカエデの木を買って庭に植えたが、青い葉のまま落葉したという。紅くなるために必要な低温期が奄美にはそもそもないのだろう。  そうはいっても植樹したカエデは九州にもたくさんある。鹿児島から高速道路で1時間半の人吉城址は、城壁の石積みと紅葉の対比があざやかだった。 日比谷公園・首懸け銀杏  東京にも紅葉の名所はある。しかし東京を代表するのは、やはりイチョウの黄葉だろう。イチョウは都の木でもある。明治神宮外苑に大木の並木がある。東京駅から皇居にむかう道の両脇もイチョウ並木だ。東大のシンボルマークはイチョウ、校章、徽章などに使われている。キャンパス内には大きな木の並木があちこちにある。大学前の本郷通りもイチョウ並木だ。日比谷公園に「首懸けの銀杏」という大木がある。まがまがしい名前だが、伐られそうになったときに、自分の首を懸けても移植保存を主張した明治の学者の故事にちなむらしい。 鹿児島大学・鍾馗水仙 鹿児島でのちょうど今頃の楽しみのひとつは彼岸花見物で、しばしば郊外に出かけたりした。いつだったか、鹿児島大学植物園に黄色の彼岸花を発見して喜んだことがある。今月初めに大学を歩いていると、暗い森にこの黄色い花が咲いていた。稲とともに中国から渡ってきたこの植物は、おおむね赤、ときに白花のものがある。黄花のものは鍾馗水仙(ショウキズイセン)といい、彼岸花の近縁種らしい。(2012/10/15)

ゆるキャラ

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せんとくん  京都駅前のホテルに「せんとくん」がいた。小坊主のあたまに鹿の角らしきものが生えている。異様といえば異様な姿で、一時、不気味だのそれなりに可愛いだのという議論で盛り上がった。その議論があったせいかどうか、いまはむしろ人気が出てきたようである。もともとは、2010年の平城遷都1300年祭のためのイメージキャラクターだった。  都道府県をはじめ全国のかなりの自治体がこの手のキャラクターづくりをしているという。おおむね素朴で単純なものが多く、これらを総称して「ゆるキャラ」という。同種のものはむかしからあったような気もするが、いまのようなブームとなったのはここ10年ぐらいのことだろう。 阿蘇にいたくまモン  いまや100を軽くこえると思われるゆるキャラの中で、もっとも成功しているのは、熊本県の「くまモン」だろうか。熊本だからクマでそれにカタカナでモンを付けた。単純そのものの発想だが、メタボ風の体型と顔に愛嬌がある。やはりデザインの勝利だろう。2011年のゆるキャラグランプリ(というものがあるらしい)チャンピオン。熊本にはくまモングッズがあふれている。  ちなみに東京都には「パンダ慶次郎」というのがあるらしいが、見たことはない。名前を聞いただけで、どうもあまり受けそうもない気がする。 ツシマヤマネコ着ぐるみ  この手の発想は行政にもある。環境省の絶滅危惧種対策の一環として、動物の着ぐるみ人形をつくっている。これまでのところもっとも人気があるのは、ツシマヤマネコの着ぐるみで、猫系は絵になりやすいのだろう。トキやアマミノクロウサギもそれなりに人気はあるらしいが、その姿には賛否があるようだ。 ぐりぶーと友だちのさくらちゃん  ちなみに鹿児島県のゆるキャラは「ぐりぶー」、黒豚?のあたまに木が生えている。グリーンとブタからきてるのかな?ぐりぶーの評価は… 読者の判断にまかせたい。(2012/9/25)

某月某日

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某月某日 夕張「幸せの黄色いハンカチ」ロケセット。 炭鉱住宅も映画用につくった   北海道、夕張へ。ここは財政破産した市として一躍有名になった。町を歩くとたしかに淋しい。イベントとして映画祭を始めたのは1990年のことだ。町中に手書きの大きな映画の看板がたくさんあった。町のはずれに、高倉健主演「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地跡が観光施設として残されている。管理人とおぼしき男が歩いていたほか、だれもいなかった。 某月某日 徳之島闘牛・女性勢子  徳之島の闘牛を見た。激しい。闘牛そのものも激しいが、応援がまたすごい。勝負が着くと、関係者がなだれ込んで舞い踊る。子供が勝った牛に乗ったりする。勢子は牛を励まし闘わせる役目で、危険だからもっぱら若者の仕事である。このときは女性の勢子がひとりだけいた。二十歳ぐらいだろうか?鋭い、いい眼をしていた。 梅原猛さん。右上の額の書は自筆  某月某日  京都銀閣寺近くの、哲学者梅原猛さんの家に行った。22年前の縄文杉登山の話などで盛り上がった。もう80代後半のはずだが気力旺盛、眼鏡なしで細かい字も読む。鹿児島のかるかんが好物だという。梅原邸は哲学の道の南の端にある。もちろんそんなヤワな名前の道は歩きはしない。 某月某日 夕陽の開聞岳  開聞岳の写真はむずかしい。海に突き出しているせいか、いついっても逆光になる。しかしこの山の姿は美しい。葛飾北斎の富士はむしろこの山に似ているのではないだろうか。彼の富嶽三十六景では、現実の富士より高さを強調してある。その方が絵になるとの芸術的感性だろう。1年ほど前にホテルの窓から見た夕陽の開聞もよかった。飛行機雲が右手に見える。(2012/9/11)

旭川の雪だるま

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 夏の旭川に雪だるまがいた。赤いマフラーをしている。8月下旬、札幌から旭川に行ってユーカラ織工芸館ロビーに着いたときのことだ。札幌から旭川は、高速道路だと1時間半で着く。この工芸館はまえから気になっていた。ユーカラ織とは、半世紀ほどまえにひとりの女性が考案した毛織物で、アイヌの文様がデザインの主なモチーフである。 余市に行ったのは何年まえのことだったろう。偶然まぎれ込んだ梨畑に、花がいっせいに咲いていた。畑越しの山には雪がまだ残っていたから、あれは5月ごろのことだったろう。タンポポの黄色と芝生の緑、梨の花の白が目にしみた。 雪だるま 余市・梨畑     喜界島・ガジュマル  奄美の喜界島を、道に迷いながらウロウロしていた。とつぜん山中で堂々としたガジュマルの木に出会った。姿がなんともいえず素晴らしい。ガジュマルはほとんどが幹から出す気根によって樹形が不定型になるが、この木は森の中にいかにもスッキリと立っていた。 縄文杉・記念写真 (前列右端が私、隣が梅原さん)  平成2年12月のクリスマス、哲学者の梅原猛さんと縄文杉に登った。雪道だった。当時は観光客もはるかに少なく、冬の登山客などほとんどいなかった。まだ縄文杉に近づけた時代である。22年まえだから梅原さんは若く、私ももちろん若い。(2012/9/3)   

しもふり商店街

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 家から車で10分ほど走るとしもふり商店街だ。山手線駒込駅から200メートルぐらいの距離にある。「しもふり」は、「霜降り」らしく、近くに霜降橋がある。ちょうどすり鉢の底状の地形に位置しているから、むかしは寒かったのだろう。 商店街といってもせいぜい数百メートル、魚屋、八百屋等ごくごく小さな店が軒を連ねる。新旧の店が点在する、むかしながらの商店街である。歩いているのはたぶん近くの人だろう、年寄りが多い。入口の肉屋では串カツなどを揚げてくれる。店主夫婦と、おそらく息子の3人でやってる店のようだ。息子といっても40代半ば、父親は70代の後半だろうか。 しもふり商店街 「しもふり」入口・肉屋  東京は、この手の古い小さな商店街がそれなりに生き残っている。有名なのは谷中銀座や巣鴨のとげ抜き地蔵商店街だ。しかしこれらは有名になり過ぎて、いつ行っても人があふれている。一種の観光地化現象。  古い商店街は他にも、墨田区向島のキラキラ橘商店街、荒川区の尾久銀座など、細かく見ると結構ある。 谷中銀座 屋根の猫は木彫 近所の東京芸大生作 キラキラ商店街  全国的には、とくに地方都市では、こうしたむかしながらの商店街は大型スーパーなどに圧殺されてほとんど死に絶えつつあるように思える。宮崎都城市ではその大型複合店までが閉店していて驚いた。もちろんメインの商店街はシャッター通りだった。   東京は巨大ビルや大型繁華街のみが喧伝されるが、むしろ強味はこうした小さな町が残っていることにある。東京には地域が支える小ぶりの祭りも数多い。なんといっても人口が多く、それがこうした場所が生き残ってきた第1の理由だろう。また存外東京は高齢化の進行が激しくて年寄りの街になりつつある。こうした高齢者層がむかしながらの商店街を支えているのもたしかなことだろう。大型スーパー、ショッピングモールは、つまるところ、若者向きにできている。  この手の小商店街は鹿児島でいえばどこだろう。天文館は大きくて立派すぎる。中央駅横の東一番街かな?あるいは飲み屋街ではあるが、中央駅右手にある西銀座通りがややイメージに近いだろうか。最近できた屋台村は… やっぱり違うような気がする。(2012/8/7) 鹿児島・西銀座通り かごしま屋台村

東京の中の鹿児島

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 上野駅公園口を降りて左手に少し歩くと西郷像がある。ユカタ姿で犬を連れた、例の有名な銅像だ。犬は薩摩犬だという。維新後征韓論争に敗れて鹿児島に戻り、兔狩りなどをもっぱらにしていたころのイメージだろう。つくられたのは明治31年。  鹿児島の鶴丸城址の一角にある西郷像は陸軍大将の正装で顔もいかめしい。こちらは昭和12年建立。一見、鹿児島のものは武張って、上野は民主的な姿に見えるが、どうだろう。なお、どちらも顔はあまり似てないとの有力な説がある。 上野・西郷像 鹿児島・西郷像 上屋敷跡石板  江戸の薩摩藩上屋敷は三田(港区芝5丁目)にあった。いまはNEC本社の瀟洒なビルが建つ。敷地内に「さつまの道」が整備され当時の名残がかすかに残る。薩摩藩上屋敷跡という石板が、植え込みの中にひっそりとあった。  明治維新を主導したからか、あるいは鹿児島から職を求めて東京へたくさんの人間がきたせいだろうか、東京の中にしばしば鹿児島を発見することがある。西郷像はその代表だが、注意して見ると飲み屋などの名前にも結構多いことに気づく。たしか銀座8丁目に甑島というのがあった。わが家の近くにも種子島という小料理屋がある。いずれも島の出身者のものだろう。 しろくま  今年東京で一番人気の氷菓子はあの白くまだという。天文館無邪気が戦後間もなく「発明した」巨大なかき氷だ。いま東京でブレイクしているのはコンビニで売っている、スティックかカップ入りのものである。もっともすべて鹿児島産ではなく、佐賀や奈良産のものもあるようだ。 三岳ボード  私が住んでいるのはJR大塚駅近くであるが、駅裏の小料理屋店先に「三岳入荷」という黒板があった。屋久島産の芋焼酎はいまや東京でもブランド化しつつあるらしい。(2012/7/23)

大学キャンパス1

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 これほどの大雪が鹿児島に降るのはめずらしい。降ったのは2年前の大晦日のことである。この写真は鹿児島大学キャンパスのメインの通り、ワシントン椰子の並木に雪が舞った。 全国の大学を見て歩くと、歴史なのかあるいは大学のもつ性格なのか、それぞれに特徴がある。北大のポプラ並木はあまりにも有名だ。何年か前の台風で大木がかなり倒れたというが、写真の撮りようによってはそれなりに回復している。この大学は札幌農学校以来の伝統だろう、やはり農学部どっしり棟がもっともした雰囲気である。 鹿児島大学・ヤシの木並木 北海道大学・ポプラ並木 東大本郷キャンパスは関東大震災後から戦前にかけてつくられた建物が連坦して重厚だし、イチョウ並木越しの安田講堂(大正14年竣工)はさすが絵になる。40年ほど前ここに学生が立て籠もって機動隊の放水を浴びた痕跡は、前庭のベンチでのんびり本を読む学生の姿からはいまやどこにも感じられない。 京大のシンボルはやはり本部の時計塔だろう。ここのキャンパスは建物が密集して少し手 狭な感じがする。すぐ近くに吉田山があり、その奥には東山が連なる。この大学の風景は、これら背景の山々とあわせてみるべきなのかもしれない。 東京大学・安田講堂 京都大学・時計塔 鹿児島大学は学生数1万人と地方大学としてはきわめて大きい。その中核は鹿児島市のほぼ真ん中にある郡元キャンパスだ。大学正門を入った裏手に農学部の圃場があって、春先にはレンゲが咲く。秋には稲が実り餌を求めて雀が群がる。60万都市鹿児島の中心にある小さくてのどかな田園。私がひそかに誇りにしている風景が。(2012/6/20) 鹿児島大学・田圃

東京スカイツリー

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  東京スカイツリー 最近の東京の話題といえばスカイツリーである。世界一高いというのはなんともいえず魅力があるものらしい。東京タワーが333メートル、スカイツリーは634メートルだから、たしかに倍近い高さだ。高ければいいのかという疑問もあるが…まあ、いいのかな。 東京タワー 東京タワーは、むかしはそれほどでもなかったが、いつの頃からか結構好きになった。ライトアップが成功した数少ない例かもしれない。皇居前など、ビルの谷間に浮かぶ姿はたしかにキレイである。ときに満月がかかっていたりする。昭和30年代の日本を描いた映画「ALLWAYS 三丁目の夕日」ですっかり有名になった。東京タワーが完成したのは昭和33年のことだ。 パリにエッフェル塔ができたのは1899(明治22)年。当時は醜悪そのものだとパリッ子からは非難ごうごうだったという。それがいまや歴史的建造物として都市計画上手厚く保護されている。景観の美しさは時代によって変化していくことがよくわかる。このあたりが景観や風景を論じるむずかしさだ。 京都タワー 二十歳すぎに札幌を出た。たまに帰郷して千歳空港からバスで札幌にたどり着くと、大通公園のずんぐりとしたかならずしも美しいとはいえないテレビ塔がなぜか懐かしい。京都駅前の京都タワーは古都にはまったく似合わない建築物だ。笑い話に「京都でもっとも景色のいいのは京都タワーの展望台である、なぜなら京都タワーを見なくてすむから」というのがあったぐらいである。しかし新幹線で出先からもどって、京都駅近くのこのタワーが近づくと、なぜかホッとした。 鹿児島中央駅観覧車 鹿児島にこうした高い塔はない。しいてあげれば中央駅上観覧車の、それも夜にネオンが灯ったものだろう。3月まで住んだマンションの11階からよく見えた。大型観覧車は全国のあちこちにあっていまや珍しくもない。これだけを好ましく感じるのは、5年間眺め続けたせいであろうか。 (2012/5/11)

東京通信1

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  4月12日に鹿児島を発って東京に向かった。東京でくらすのは5年ぶりである。わけあって新幹線でいった。鹿児島-東京間は、直線だと1000キロ弱、新幹線だと1300キロをこえる。鹿児島市内のサクラは散り際だったが、列車の窓から見るサクラは、広島、岡山進んでも咲きぶりはあまり変わらない。東京も同様で、葉桜になりつつ花がかなり残っていた。今年の異常気象のせいか、あるいは鹿児島東京の距離ほど気温の変化はないのだろうか。 日比谷公園    18日に日比谷公園にいった。ここは霞ヶ関の官庁街に接して、むかしはよくここを横切って日比谷、銀座方面に昼食に出かけた。日比谷公園は16ヘクタールあって都心の緑地としては大きい。つくられたのは明治36(1903)年、日本初の都市公園であった。公園の一角に日比谷公会堂がある。関東大震災の復興事業として昭和4(1929)年に建設された。早稲田大学大隈講堂と同じ設計者だという。そういわれればよく似ている。似ているといえば、鹿児島中央駅近くにある日本ガス本社も昭和4年建設だと聞いた。これもまた似ているような気がする。当時はこうしたゴシック風のデザインが流行っていたのだろうか。 十二代沈寿官作・日比谷公園 鹿児島苗代川にある沈寿官窯収蔵庫で、日比谷公園の焼き物を見つけた。日比谷公園ができ た直後、おそらく明治37年か38年頃につくられたものだろう。つくったのは十二代沈寿官。天才がしばしばそうであるように、彼もときの風俗にはきわめて敏感であった。あるいは欧米からきた都市公園という、新しい文化につよく反応したのであろうか。いずれにせよひとつのすぐれた才能は、1000キロの距離を超えて、鹿児島と東京をこのときたしかにつなげたのである。 (2012/4/6)